桑井百職 −評論家− | Winter Flowers 2 | ||
日中は天気がよくても、日が落ちると真冬の夜はぐっと冷え込む。花屋の配達から戻ったオビ=ワンはかじかんだ手を擦りながら裏の通用口から入ってきた。 「お帰り。ご苦労様、オビ=ワン」 「戻りました。あのアレンジ、とても喜んでもらえましたよ」 「良かったわ、寒かったでしょう、何か飲んで暖まってらっしゃいな」 「それより、忙しくなければどうか帰って下さい。急な届け物で僕が出ている間いてもらったんだから。子供さんも待ってるでしょう、レイア」 「連絡したから大丈夫。でもこの様子なら帰ってもよさそうね。それよりオビ=ワンあなたの知ってる人が来てるわ」 「え、誰?」 「あそこで鉢植え見てる男性。背が高くて素敵な人ね」 「――ジン先生……」 「大学の先生ですって、お店やあなたのこと褒められたから、私ついいろいろ話してしまったわ。ごめんなさい」 「はあ……」 「安心して、良い所ばかりだから。――でもずいぶん聞き上手な人ね」 オビ=ワンがエプロンを着け出て行くと、クワイ=ガンは軽く片手を挙げた。 今日はきれいな濃い青のタートルセーターにグレーのコート姿。 「やあ」 「いらっしゃいませ、先日はどうもありがとうございました」 「こちらこそ」 そこでクワイ=ガンは意味ありげに軽く口の端をあげた。 「私の授業にわざわざ来てくれてありがとう」 ようやく室内の暖かさに肌色が戻ったオビ=ワンの頬が薄く染まる。 「あの、すみませんでした。僕2年だから外交史とってないんです」 「リサーチは一向に構わんさ。だがあの部屋で席が足りないのはまずいので、次回はちょっと作戦を立てた」 「作戦?」 「適正な人数に戻す」 「どうやって?」 「それは開けてのお楽しみだ、来るかね?」 「来週は休講の補講があるんです、残念ながら」 「そうか。いや、先日私の受講名簿には名がないのでもぐりとは思った。学生課で聞いたら成績優秀者の奨学金を受けてるそうだな」 「申し込んだら運良く受けられて助かりました」 「その上アルバイトもしてるのか、感心なもんだ」 「もう大人だから学費だけでも」 「――その、待つ間この店の魅力的な女性に少し聞いてみたんだ。気を悪くしたかな?」 「一浪したの隠すこともないですから」 「父親が事故で大怪我して一度は進学をあきらめたことや、母親が病弱で君が家事をしているなど、感心な事ばかりだ。プライバシーに立ち入ってすまないが」 「僕の周りの人は知ってるので、――でも言いふらすつもりはないです」 「もちろんだ。今時この国にこんな学生がいると知って驚いたほどだ」 「お金だけならもっと割りの良い方法あるんでしょうけど、自分に合ったことしたいですから」 「そうだな、この店は君に合っている」 「店長始め皆親切だし、いろいろ教えていただいてすごく助かります」 「それもだが――」 「花に囲まれた君は絵になる。実に良い」 「はあ?」 オビ=ワンは不審気に眉を寄せる。 「あの、写真が趣味、とかですか?」 青年の表情を見たクワイ=ガンが苦笑する。 「思いついた事をいったまでだ。それに男を口説く趣味もない――話が逸れたな、花を買うつもりで寄ってみた」 「あ、はい。ありがとうございます」 「この前と同じ花で、オフィスに置くのでもう少し大きくてもいい」 それでしたら、とオビ=ワンはファイルを見る。 「週明けに入荷予定です。クリスマスローズは色の種類が多いから、気に入ったのを選んでいただけます。また来ていただくことできますか?」 「それでもいいが、お勧めはどれだ?」 「そうですね。今ないですが、色が変化するのはどうですか?咲くにつれて白からピンク、赤紫と濃くなっていきます。花持ちがよくて長く楽しめます」 「ではそれを。入ったらここに届けてくれ。留守でもわかるようにしておく」 クワイ=ガンは名刺を差し出した。 「××タウンビルですか……ここにオフィスが?」 都心の一等地にある有名な複合施設で、会社の名も有名なコンサルタント企業だ。 「そこと契約してマネジメントを頼んである。私用のオフィスは一部屋だけだ」 「わかりました。入荷したら連絡してからお届けします」 「待った?シーリー」 「ううん、今来たところ。はいノートのコピー」 「ありがとう、いつも助かる。バイト代入ったし好きなの頼んで」 「やった!ミックスプレートランチいい?」 「いいよ。僕は日替わりランチにしよう」 「ところで。ねえ、ジン先生の事聞いた?」 「いや、何?」 「一昨日の講義、やっぱり大入りだったんだけど、抜き打ちテストやったの!」 「へ、え――」 オビ=ワンはクワイ=ガンが適正な人数に戻すと言っていた事を思い出した。 「白紙一枚ずつ配ってね、時間は30分。『「国際外交に思うこと』って。講義とってない人は記名無記名どっちも可。予告なしだから評価じゃなくって参考にするけど、良かったのだけ評価に上乗せするって。ひやかしの人も進んでくるくらいだから興味があるはずだってね」 「皆驚いただろうな」 「そ、中身より姿見たくて来てた女の子達は次からはこないから減ると思う」 「作戦成功ってわけか」 「作戦?ああ、あの先生、やっぱり普通と違っておもしろい!」 その時、ふと、オビ=ワンは何か視線のようなものを感じて頭をあげた。すると、その視線の先に当のクワイ=ガンの斜めの後ろ姿が目に飛び込んできた。 ここは学内のレストラン。学食と異なり、教職員や外部の客達が主に利用し、メニューやサービスも一般のレストランとそう変わらない。普段ふところに余裕のない学生はめったに利用できないが、たまにオビ=ワンは何かと力になってくれるシーリーにお礼を込めてごちそうしていた。 「……どうしたの?」 オビ=ワンは黙って顎を向けた。 シーリーはそっと振り返り、すぐにわかったようで向き直って囁く。 「噂すれば、ね。誰かと一緒みたいだけど陰でわからない」 「遠いし、話題変えようよ。ほら、ランチが来た」 食事を終え、二人は席を立って出入り口に向う。 「ごちそうさま、オビ=ワン」 「こちらこそ」 背を向けて支払いをしていると、シーリーのめったに聞けないうわずった声がした。 「ジン先生!?」 「やあ」 間違えようない声音にオビ=ワンもその場で身体を回して向き直ると、目の前にクワイ=ガンの深い青の瞳があった。 「あの、こんにちは」 「この前は来てくれなくて残念だったな、オビ=ワン」 「今シーリーとその話してたんです」 「シーリー?」 クワイ=ガンはオビ=ワンの隣りの目を引く容貌のシーリーに視線を移し、納得顔に頷いた。 「ああそうか。君の回答は興味深かったシーリー」 「ありがとうございます!けど、どうしてオビ=ワンが――」 オビ=ワンとクワイ=ガンの親しげな様子にシーリーが不思議そうな目を向ける。 「先生は花屋のお得意様なんだ」 「そうなんだ?!」 シーリーに説明していると、大きな身体の陰からひょっこりと小柄な姿が現われた。 「クワイ=ガンの生徒さん?」 「ああ、彼女はシーリー。こちらのオビ=ワンは花屋でバイトをしている」 大きな灰色の瞳と柔らかなそうな短い薄茶色の髪の女性はごく若く少女のようにも見えた。 「こちらはバント」 「こんにちは、よろしく。――大の1年なの」 バントは柔らかく微笑んで小さな手を差し出した。 「よろしく、シーリーよ」 「こちらこそ」 「こんにちは、オビ=ワンです」 「素敵なお花をありがとう、オビ=ワン」 「あ、いえ、こちらこそありがとうございました――」 レストランを出ると、軽く会釈してクワイ=ガンとバントは親しげに語りながら行ってしまった。 「――感じのいい娘(こ)だけど、どういう関係かな?オビ=ワンお花って何?」 「ジン先生に頼まれてバントの誕生日に花を贈ったんだけど、変だな」 「何が?」 「その人のイメージを聞いたら同年代で背が高くって赤毛で緑の瞳――」 「全然違うじゃない、人違い?」 「さあ、お客様のことは詮索しちゃいけないし」 「そう、でも誕生日に花を贈られるのはいいなぁ」 「豪華ってわけにはいかないけど贈るよ。店員割引価格で」 「ありがと、期待してる」 オビ=ワンはそれから都合が付いた時はクワイ=ガンの講義に出た。やはりひやかしは減り、椅子が足りないことは無かった。 ある風の強い晩、オビ=ワンが一人で店に居るとふらりとクワイ=ガンが入ってきた。 「まだいいかな?」 「もちろんです!いらっしゃい、先生」 寒そうにコートの襟を立てていたクワイ=ガンはゆっくりと手袋をはずす。いつものさっそうとした動きと違うようで、心持ち顔色も悪いとオビ=ワンは感じた。 「仕事以外で先生はどうもな。大学の外では名で呼んでくれないか」 「――はい、じゃあそうします」 「知合いのお祝いなんだが、花を贈ってもらえるかな」 「いつもありがとうございます。どういったものがいいですか?」 「これに必要事項は書いてある」 クワイ=ガンは一枚のメモを出した。それと、と手に持ったブリーフケースから一冊の本を取り出した。 「良かったら君に。講義に使っている本だ。著者用の手持ちがだいぶあるんだ」 「売店で今年の分は売り切れだったんです。どうもありがとうございます!」 「いや自主的に来てくれるんだからありがたい。2年生は期末テストは受けられないからそのうちレポートでも提出してくれ」 「え、ええ!?あの、3年になってちゃんと受講してからでは――」 「遠慮するな、数枚でいい。期末試験が済んでからで」 「は、あ……」 クワイ=ガンは困った顔のオビ=ワンを見て笑った。 数日後、シーリーから送られてきた携帯メールを見てオビ=ワンは目を見張った。 「緊急!学生課から休講連絡。明日の外交史の講座は休み、ジン先生がインフルエンザの為」 続く |
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