桑井百職  −評論家−   Winter Flowers 1

 視線を感じたような気がしてオビ=ワンは顔をあげた。ちょうど目に入った壁の時計が9時をまわっている。伝票の整理をしていて閉店時間が過ぎているのに気づかなかったのだ。オビ=ワンは椅子から立ち上がり、自動ドアのスイッチを切ろうと出入り口に向った。その時、軽い音と共にドアが左右に開き、一人の男が入ってきた。

 おそろしく背が高い。ちょうどドアの前に立っていたオビ=ワンは思わず頭を反らすような姿勢で男を見上げた。若くはない。けれど、口の周りと顎に短い髭を蓄え、肩まで届く亜麻色の髪の男性は、不思議な濃い青の瞳もあいまって、年齢など超えた不思議な雰囲気をたたえていた。長い脚を包む濃茶のズボンにキャメル色のラムウールの短いコートは多分外国製。

「――まだ、大丈夫かな?」
低く柔らかな声で問いかけられ、オビ=ワンは我に返った。
「もちろんです!どうぞ」
「贈り物用の花束が欲しい。できればバラで」
男の目は店内のとりどりの花を追っていたが、眉が曇った。

「お客様、申し訳ありません」
オビ=ワンはすまなそうに頭を下げる。
「本日はバラの売行きがとても良くて、売り切れました」
「そうだろうな。休日だしこんな時間だ。――ここの前にも何軒か回ったんだが、閉まっていたり、売れ切れだった」
「他の花ではいかがでしょうか?たとえばこの百合とか」
「花はあまり知らないから、一つ覚えでバラにしていたんだが、いろいろありそうだな」
「どういった用途かおっしゃってくださればお見立ていたします。お時間は大丈夫ですか?」
「ああ、届けるのは明日だ。だが明日は店に行く時間がとれそうもない」
それなら、とオビ=ワンは男に向ってにっこりと微笑んだ。

「今ご注文をうかがって、明日入荷した生きの良いバラで花束が作れます。都内配達なら責任をもって明日中にお届けします」
驚いたようにオビ=ワンを見た男の目が次第になごむ。
「そうか……ずいぶん気が利いてるな。失礼だが、若そうだから店員かと思ったが店主?」
「ありがとうございます。オーナーの店長は別にいますし、僕はこの時間の担当です。店長の云うとおりにしているだけです」
オビ=ワンははにかみながら、注文用紙を取ってきた。

「どうぞお掛けください。プレゼントですね。何かの記念ですか?」
「誕生日。女性だから歳はふせておこう。私と同年代で前からの知り合いだ」
「バラの色の好みや希望はありますか?それとご予算は」
「実はずっとなじみの花屋に頼んでいたんだが、店主が歳で店を畳んでしまった。配達込みで1万円でできるかな?」
「充分です。あとご希望とか。あ、さしつかえなければその方のイメージを言っていただければ、フワラーアレンジ資格のある者が作ります」
「花のことは知らないからまかせる。彼女のイメージ――」
男は一瞬遠い目をし、やがて口に出した。

「背が高く、いつもきびきびと動き回る。赤みを帯びた豊かな髪。肌色が少し濃くて、緑の瞳は金色に縁どられている」
「きれいな方ですね」
ああ、と男はうなずいた。
「確かに美人だが、内面もそれに劣らない。不屈の塊というか、おそろしく気が強い。有能で躊躇せず核心を突く。周りの男どもも形無しだ」
男はおどけて肩をすくめる仕草をした。
「だが、誰よりも真直ぐで不正には目を瞑らなかった。そして、いつもユーモアを忘れなかった」
「素晴らしい方ですね」
「ありがとう……余計な事を言ったな。これでいいのか?」
「この店のアレンジ担当は優秀ですからイメージに合うようにお作りします。写真を撮ってメールでお送りします」
「いたれりつくせりだな」
「お客さまの気持ちを花でお届けするのがうちの役目ですから」
オビ=ワンは少し照れながら、注文書を差し出した。

「注文内容は記入しましたので、この下にお客様のお名前とお届け先を。あとこれが花束に付けるカードです。どうぞメッセージをご記入なさってください」
「カードは必要ない」
そう言って、男は嵌めていた黒い皮の手袋をはずし、店のボールペンを手に取った。
「わかりました」
長身の男の手はやはりオビ=ワンよりずっと大きかった。四角くてしっかりした手、長い指なのに爪は案外短く、深爪気味に切りそろえてあった。どの指にも、リングはしていなかった。

「これでいいか?」
「ありがとうございます。クワイ=ガン・ジン様ですね。お届け先は――区、×××××、バンド・エーリン様、電話番号は――」

 オビ=ワンが注文書を確認しながら復唱するのを聞く傍ら、クワイ=ガンは店内を見渡した。
時計をみるともう10時近い。店の前に9時までとあったが、明かりがついていたので、もしやと思って入ってみたが、めぼしい花は売れてしまったようだ。残りが寂しくなった入れ物が目立ち、葉物や鉢植えが目に付く。だが、思いがけず親切な店員のおかげで注文できた。短い金褐色の髪と綺麗な青緑の瞳の店員は一見すごく若く、10代かと思ったほどだ。けれど実に慣れた手際のいい対応をしてくれた。仕事が忙しく、大事な花束を買い損ねるかと思った一日がいい気分で終われそうだった。

 ふと、見たことのない花の鉢植えが目に入った。
上向きに八手のように広がる緑の葉からのびる茎上に咲く数輪の白い花。
中央から放射状に開く5枚の花びらはすっきりした形のいさぎよい純白だった。
みると、同じ形でも数個の鉢植えの花は白、黄、ピンク、赤紫、と皆すこしずつ異なる。



「これは何というんだ?」
「え、ああ、クリスマスローズです」
「クリスマスローブだって!?」
「クリスマスは終わったし、バラに似てもいないのにね。実際はきんぽうげの一種ですけど、寒さに強く花の無い冬の時期に咲くので最近好まれるようになってきたんです」
「冬の花か」
「清楚で強い花です。花言葉は、と。――追憶とかいたわり、だそうです」
「……追憶といたわり」
はい、と手にプレートを持って小さく頷く青年をクワイ=ガンは見返した。冬の寒さに耐えて咲く花は追憶といたわりをもたらすのだろうか。

「――お会計してもよろしいでしょうか?」
「ああ、現金で払う。それと、この鉢植えはどうやって手入れするんだ?」
「寒さには強いですけど、できれば暖かい所において地面が乾いたらときどき水をやっていただければけっこうです」
「うちはまったくもって殺風景だから、鉢植えのひとつも置こうかと思っていた。いただこう」
「ありがとうございます」
「釣りはとっておいてくれ」
「え?こんなに」
クワイ=ガンが出した紙幣は1万と5千。代金は計1万2千円。
「君の残業代だ。それに私も助かった。遠慮しないでくれ」
「――では、ありがとうございます」

 包装した鉢植えを下げたクワイ=ガンを外まで見送って深々と頭を下げた時、オビ=ワンの携帯がなった。
あわてて音を消そうとした青年を男は止めた。
「遅いから心配してかけてきたんじゃないか?出てやれ、私はもういい」
すまなそうに携帯を耳にあてて律儀に礼をする青年に背を向け、クワイ=ガンは歩き出した。

「シーリー、うん今家に帰る途中、もうすぐ着く。そう明日会ったとき話す。場所は大学前の――」

 彼女だろうか?大学?確かに学生のような雰囲気はあったが、バイトにしてはきちんとした応対だった。
クワイ=ガンは信号待ちの交差点で立ち止まり、花屋の控えを出して見た。名前を聞き損ねてしまったが、担当者の欄に店員の名が書いてある。青年はオビ=ワンといった。



「ジン先生の外交史はとったほうがいいよ。いちおし!」
「必修だからね。けど今年は後期だっただろ、次年度は前期?」
「前の先生が病気で前期は出来なかったの。秋から新しく外部講師でジン先生が来たんだけど、これがすごい」
「すごい?」
「民間人で外交交渉とかアドバイスのプロなんだって。一応肩書きは評論家だけどね。とにかく普通全然知らされない外国の事情とか、交渉のアプローチ法とか、実例とか、聴いてておもしろくてわくわくする」
「へえ」
「口コミで生徒が増えてね。今じゃ取ってなくても聴きにくる学生で教室がいっぱい」
「そうなんだ。フルネームはクワイ=ガン・ジンか――」
リストに記入されたその名に、オビ=ワンは覚えがあった。半月前、遅くに店に来て花束を注文してくれた人。過分なチップを翌日店長に渡したら、お前は正直者だなと笑って、千円は皆のおやつ代にし、残りはオビ=ワンにくれた。それに、あの風貌は一度見たら忘れられない。

「その先生、すごく背が高くて髪が長い?」
「そうそう!知ってた?目立つよね。おぢさん好きな生徒にはすっごく人気ある。声がまた良いし」
大学の近くのファーストフードでオビ=ワンは1学年上のシーリーに次年度のアドバイスを受けていた。高校の同級生だがオビ=ワンが一年送れて入学し、さらにバイトを掛け持ちしているため、効率のいい単位の取り方や講義についていつも相談にのってもらっていた。
「一度来てみて、オビ=ワン。この日はどう?」
「ええと――空いてる」



 当日、シーリーとオビ=ワンがその講義室に入っていくと、すでに結構混んでいた。
前列はいくらか空席があったが、さすがにちゃんとした受講生でないのでオビ=ワンは前の席は気が引けた。
「この前より増えてる!前から詰めてくれるといいのに」
「すごいね」
二人は漸く席を見つけて後ろのほうに座った。


 定刻にクワイ=ガンが入ってきた。生徒のほうを振り向いて一巡し、後ろの戸口付近に立っている学生達に目をやって口の端をあげた。
「立ち見まで出るとは誠に光栄なことだが」
手元の名簿にわざとらしく目を落とす。
「この部屋は人数分の席があったはずだが、いつから狭くなったんだろうな」
小さな笑いが広がっていく。

「話を聞きたいものは歓迎するが、長時間立ち通しは気の毒だ。ひやかしなら今出て行ってくれ。それと貴重な時間を無駄にするわけにはいかん。3分で片をつけよう。全員、立ってくれ」
大声でも威圧的でもないのに、身振りを交えた有無を言わさぬ支持に学生は一斉に起立した。
「空きがないように前から座りなおす。それでも足りない者は隣りから椅子を借りてくる。後で必ず返しておくんだ。無言で、さあ開始!」

 学生達はクワイ=ガンの声に操られる様に整然と行動し、オビ=ワンも少し前の列に移った。クワイ=ガンは腕の時計を見ている。オビ=ワンは座りなおして、筆記用具を前に置き、正面の背の高い男に目をやる。今日のクワイ=ガンはグレーのジャケットに同系色の濃色のズボン。瞳と同じブルーのシャツにノーネクタイだった。

 その時、視線を戻したクワイ=ガンとオビ=ワンの目が合った。オビ=ワンはふいのことに驚き、目を瞬かせる。クワイ=ガンも目を見開き、見返した。見短い金褐色の髪、印象的な青緑の瞳。思い出し、そして納得したという証拠か、クワイ=ガンの方眉が僅かにあがり、口許がほころんだ。



続く

  これで終わっても、もう先が見えましたね(汗) あとは桑井さんがどこからアプローチするかというだけです。え、それもわかってしまいましたか、さすがです。やっぱ桑井だからね(笑)
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