桑井百職  −評論家−   Winter Flowers 3

 翌日の夕方、オビ=ワンは小ぶりなフリージアの花束と小さな包みを持って、注文書の住所をたよりに探し当てたクワイ=ガンのマンションの前に立っていた。

 包みのタッパーには生姜をすり下ろし、ハチミツ、きざみネギ、味噌を加えた手製の特製しょうが湯の元が入っていた。クワイ=ガンがインフルエンザと聞き、医者に掛かっているはずだと思いながらも気になって仕方なかったのだ。

 マンションのセキュリティは住民と許可されたものしか中に入れない。よほど荷物受けに入れて帰ろうかと思ったが、エントランスの呼び出し電話の前に立ち、オビ=ワンは意を決して部屋番号のボタンを押した。数回の呼び出しで相手がでなければ切ろうと思っていた。 


「はい、どなた?」
「あ、あの、ジン先生は――荷物を届けに、その、失礼しますっ!」
インターホーンの向うであっと小さな声があがった。
「待って、オビ=ワンね、そうでしょう」
「――はい」
「バントよ。今どこ?クワイ=ガンのところに来たんでしょう?」
「エントランスです。インフルエンザと聞いて気になって、勝手にすみません」
「そこに居て、すぐ行くわ」

 ためらいながら待っていると、すぐにバントがエレベーターから降りてきた。
大学で会った時のピンク系のコート姿とは違い、カジュアルなセーターとパンツスタイルだった。
「こんにちは」
「こんにちは、あのこれ、特製生姜湯です。よかったら熱い湯で飲んでください。身体がぽかぽかします。先生どうですか?」
「ありがとう、今薬を飲んで寝てるわ。どうやらピークは過ぎたみたい」
「良かったです。どうかお大事に、じゃ――」
「待って」
「そこのロビーで少し話しましょ、ね」
「あの……」
「せっかく心配してきてくれたんだもの」

「先生は店のお得意様だし、もぐりの講義も受けさせていただいたし」
「そうですってね。あなたのこととても嬉しそうに話してたわ」
「は?」
「今の学生には珍しく良い子で気が利くって。タールがいなくなってから誰かのことあんな風に話すクワイ=ガン始めてみた」
「タール?」
「聞いたことない?」
オビ=ワンは肯いた。
「クワイ=ガンと婚約していたの。結婚したら二人が私を正式に養女にするつもりだったけど、事故で亡くなったのよ」
「いつですか?」
「5年になるわ。クワイ=ガンは日本に居ない事多かったけど、その後も私を援助してくれて」
「――背が高くて綺麗で、不屈の魂とユーモアを忘れない女性」
「そう、タールはその通りの素晴らしい人だった」

「誕生日に贈った花はあなた宛じゃなかったんだ」
「ええ、クワイ=ガンは毎年どこにいてもタールの誕生日に花を贈ってくれたの。でも、私、もういいですってクワイ=ガンに言いに行ったの。あなた達に会った日」
「どうして?」
「私もう子供じゃないわ、タールの残してくれたもので間に合うし、奨学金も受けてる。卒業するまで援助がなくてもやっていけるから」
「クワイ=ガン、いえジン先生は何て」
「わかった、って。これからは大人として扱うけど、いつでも連絡して欲しいって言ってくれたわ」
「君は立派だ。独立心が強いんだね」
「そうでもないのよ。亡くなった両親がタールやクワイ=ガンと昔の友人だったからとずっと気にかけてくれて、進学できそうもなかったのを助けてくれたの。あなたこそ、一度は家の為に進学をあきらめて、でも頑張ってバイトして奨学金も得たんでしょう」
「家族や周りの人が励ましてくれたから。けど、どうしてこんな話僕に?」
「タールは逝ってしまったけど、クワイ=ガンは先が長いんだもの、これから幸せになって欲しいと思うわ。愛し合う人がいればずっと豊かな人生がおくれると思わない?」
「そうだろうね」

「クワイ=ガンはもてると思うんだけど、どう?」
「ああうん、僕からみてもそう思う」
「そうよね、その気になれば良い人が見つかるわよね」
「そう思う――って僕が思っても何もならないけど」
「クワイ=ガンは人に頼らないから、気に掛けてくれる人がいるだけで嬉しいわ」
「バント、クワイ=ガンが風邪ひいて君に連絡したんじゃないの?」
「ううん、偶然。興味があるって言った本をクワイ=ガンが送ってくれたからお礼の電話したら具合が悪そうだったから来てみたの」
「ああ――」
「あなたは大学で聞いたの?」
「休講の連絡がきたから。それにこの前店に来てくれたとき顔色が良くなかったみたいで……」
「ありがとうオビ=ワン。よくいっておくわ、クワイ=ガンをよろしくね」
「えっ?はあ」

オビ=ワンの戸惑った表情をみたバントは笑みを浮かべて立ち上がった。
「もう少しクワイ=ガンの様子みて大丈夫そうだったら私も帰るわ」
そう言って、オビ=ワンの持ってきた紙袋を持ち上げた。
「お見舞いをありがとう。引き止めてごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ――」
エレベーターホールへ向うバントを目で追って、オビ=ワンも身体を返し出入り口に向った。


 クワイ=ガンからは何の連絡もなかった。もっとも店の電話とメールに個人的なことは言ってこないだろう。只、クワイ=ガンが休んだのは1回だけで、オビ=ワンは出られなかったが翌週の講義にはやってきたと聞いた。大学で逢う事も店に来ることもなく、大学は試験期間に突入したのでオビ=ワンは1週間ほどバイトを休んだ。

「こんにちは、先週は休ませてもらってすみませんでした。レイア」
「ああオビ=ワンよかった!時間より早く来てくれなんて言ってすまないわね。まだテスト中なんでしょ?」
「だいたい終わり。あとはレポート提出とかです。それよりお届けものですか?」
「そう、ジン先生のオフィスに6時まで」
「え?あの××タウンビル――」
「この時間じゃ地下鉄が一番確実よね。少しかさばるけどしっかり包装するからお願い」
わかりました、とオビ=ワンも手を貸しながらてきぱきと作業を進める。レイアは手を動かしながら早口で続けた。

「午後に電話で注文いただいたの、店長は夕方からオープンの店の飾りつけでしょ。先生、急だから届けが無理ならいいって言ってくださったんだけど。私、とっさにオビ=ワンに連絡してみますって」
「そうだったんですか」
「だって、先週も来てくださったのよ。あなたが試験で休みだっていったらうっかりしてたって」
「え、先週?」
「少し話して、若くてきれいで生きいきした女性に贈るちょっとした花が欲しいとおっしゃるから、ほらあれと同じ、私がアレンジした春色ブーケをおすすめしたの。そこ押さえてくれる。さ、これで完成」
「はい。――あのレイア、それって?」
「てっきりガールフレンド宛てと思うじゃない?そしたらお会計をすませた後、私にプレゼントですって!」
「は?」
「もう本当に驚いたわ!うちの夫(ひと)に爪の垢せんじて飲ませたい。あんなことされたら無理な事もやってあげたいでしょ。それにしてもあの方って――」
「行ってきますっ!」
冒頭だけ聞いてオビ=ワンは店を飛び出した。



 有名なビルはすぐわかったが、クワイ=ガンのオフィスにそのまま行く訳にはいかず受付けでたずねると、連絡を取ってくれ、直接届けて欲しいと言われた。ビルの外の喧騒とうってかわり、高層階のオフィスは人気も少なく、広々した通路が続く。

 呼び鈴を押すと、すぐに見慣れない改まった装いのスーツのクワイ=ガンが姿を見せた。
「やあ、無理を言ってすまなかった。」
「いいえ、こちらこそありがとうございます。お届けに参りました」
「入ってくれ、あそこの上に」
「お届け用の外箱に入れてますがどうしますか?すぐ使われるなら箱から出します」
「そうしてくれるか。持っていくから箱はいらない」
「近くなんですか?」
「すぐ隣のホテルだ。バーティというか知り合いの祝賀会がある」
「だったら直接お届けしますか?指定はないと伺ったんですが、一応カードも用意してます」
「――あいかわらず行き届いてるな。いや、自分で持っていこう。それに君の顔を見たかったし」
「は?」
「お見舞いの礼を言ってなかった」
「礼を言われるほどじゃないです。本をいただいたのはこちらです」
「あの生姜湯は身体にいいな。君が作ってくれたのか?」
「はい、生姜にはちみつと葱と味噌を混ぜて、うちはいつでもあれなんです」
「生姜湯に花か、この歳でそんなことしてもらうとは。バントも感心してた」
「あの――」

 その時、ノック音と共に一人の男が入ってきた。クワイ=ガンより若くて、高価そうなスーツを着こなした、いかにもスマートなビジネスマンという雰囲気だ。

「クワイ=ガン、花が間に合ったのか?」
「無論、信用できる店だ」
「うん、華やかで品がいい。今晩にぴったりだ、いこうか?」
「君が持て、ピーター」
「僕よりは君のほうが合うと思うな」
「会場近くなったら持ってやる」
「いいとこ取りか?もてるやつは違うな」
親しげなやりとりを聞きながら、オビ=ワンは後ろに下がった。
「――お気に召していただいてありがとうございます。では失礼します」
「オビ=ワン、店は9時までだったな。帰りに寄って払う」
「いえ、ご都合のいい時でけっこうです」
オビ=ワンは一礼し、畳んだ外箱を持って素早く部屋を出た。


 その夜、9時になってもクワイ=ガンは店に現われなかった。10分ほど待ってみたが、もう来ないと思い、オビ=ワンは閉める準備を始めた。

外に出ていた物を片付けていると背後から声がかかった。
「閉めるところだったのか、遅くなってすまない」
オビ=ワンが振り返ると、夕刻見たスーツに黒のウールのコートを羽織った長身の男が立っていた。


 店に入り、かえって恐縮するオビ=ワンにクワイ=ガンは花の代金を払った。
「時間のある時で良かったのに、ゆっくり出来なかったんじゃないですか?」
「付き合いで顔を出しただけだ。早めに失礼させてもらった。食事はまだだが君はどうだ?」
「帰ってから食べます」
「良ければ付き合ってくれないか?近くの店ででも」
「え!?あ、でも――」
「一人暮らしは味気ないもんだ。無論、遅くまで引き止めたりしない」
「――うちに電話してみます……」


 10分後、オビ=ワンはダウンジャケットをひっかけ、店の前にいたクワイ=ガンに駆け寄った。
「お待たせしました!」
「おすすめの店があればそこへ行こう」
「僕の知ってるとこって、フィーストフードとラーメン屋とファミレスぐらいです」
「どこでもいいが、腹いっぱい食べられて話も出来るところがいい」
「――あの、じゃ、焼肉のチェーン店で食べ放題のコースがあるんですけど」
「けっこうだ」


 平日で夕食時間のピークも過ぎていたので、焼肉店に入るとすぐ席に通された。
席についてコートを脱いだときオビ=ワンははたと気付いた。グラックタイこそしてないが、クワイ=ガンはみるからに上等そうなダークスーツに、黒いコートもおそらくカシミヤらしい。クワイ=ガンは平気な表情だが、服に匂いがつくだろうし、そもそもどこでもいいと言われても、自分の知ってる店で目の前の男に似つかわしいところなどない。

「どうした?好きなものを頼んでいいんだろ?」
「今さらですけど、服に匂いがつくと思います。すみません」
ああ、とクワイ=ガンはすまなそうな青年に笑いかけた。
「気になるほどじゃない。そのうちクリーニングに出す。きつい香水よりましだ」
「僕はこういった店しか知らないんで――」
「君はどう思ってるか知らんが、普段はシャツかセーターだ。ラーメン家も焼き鳥屋も行く。つきあいでそれなりの店に行くこともあるが、君はそういう所のほうがよかったか?」
「いえ、僕はここが一番の贅沢です」
クワイ=ガンはこんどは声をあげて愉快そうに笑った。
「その正直で背伸びしないところが好きだ。さ、どんどん注文しよう。元を取らないと」
「はい!」

 飲み物や肉が運ばれ、オビ=ワンは嬉しそうに手際よく焼き始めた。ひとしきり大学や花屋を話題にして胃も納まった頃、クワイ=ガンは上着のポケットから畳んだ紙を出してテーブルに広げた。

「目を通してくれないか?」
「はい?――研修生論文募集……?」
「私がマネジメントを頼んである会社の企画だ。ここは主にコンサルタントとリサーチをやってる」
「有名な会社だから知ってます」」
「今論文を募集している。優秀な者は夏に10日程度アメリカに派遣して研修させる。まあ半分は観光だ。研修生には旅費全部といくらか支度金も出る」
「やる気があれば良い話だけど、もうすぐ締め切りですね」
「この前君が出してくれたレポート、形式を整えて応募してみないか?」
「は!?だってあれは本と講義の感想をただまとめただけです」
「いや、君独自の考えも入っていてなかなか面白かった。私は企画の論文選考を担当してるが、充分通用する内容だ」
「急にそう言われても」
「ダメもとでやってみないか?君ならすぐ出来るはずだ」
「はあ……」
オビ=ワンは手を止め、グラスをひきよせてストローでウーロン茶をすする。ズズッと音がして、とっさに決まり悪そうな表情で俯いた。
クワイ=ガンがすっと立ち上がった。
「お代りを持ってこよう。それともう何皿かオーダーしてくる。タン塩と上カルビが好きだったな」
「えっ、いいです。自分で――」
「遠慮するな。栄養をつけて応募論文を仕上げてくれ」
「あ――」


 食事を終え、二人はバス停に立っていた。クワイ=ガンがタクシーで送ると言ったのを断り、時おり吹きつける刺すような風を避けようとオビ=ワンは街路樹に寄った。
「あと少しで来るからここでいいです。今日はいろいろありがとうございました」
「こちらこそ。では週末で仕上げる用頑張ってくれ」
「――乗せ上手、というか強引ですね」
「時にはな。見込みがあると思えばプッシュする」
「自分ではどうも――」
「自覚しないところが君らしい、中身も外見も。ピーターが言うには、さっきオフィスにいたやつだが」
「はあ」
「君は多分、特にアメリカとか外国に行けば、そっちの趣向というか、そういう性癖の男共に狙われるだろうと」
「……???」
「つまり同性愛者だ」
「まさか!?」

 目を丸くしたオビ=ワンを見てクワイ=ガンは小さく口許をあげて笑い、すぐに表情をもどした。
「研修旅行には私も同行するつもりだ。少なくとも、君が私の学生のうちは、そういった事はないと保障する」
「あの」
「君には未来があるし、私にも理性がある。それに私の講義だが、4月からは一部集中的な日程になると思う」
「えっ!」
「仕事の都合でニューヨークに定期的に行くことになる。大学へいく回数は減る」

「――残念です」
「そう思ってくれるか?」


「……はい」
「では君が私の学生の間は執行猶予だ。そして――」
「クワイ=ガン……?」
その時、バスが止まった。
クワイ=ガンはすばやくオビ=ワンの腕を引いて、金褐色の髪に口付けた。
「君は花の香りがする」
驚いて振り返ろうとする青年の背を軽くおしてバスのステップに上がらせる。

 オビ=ワンは窓に顔を寄せて何か言いたげに口を開けている。すぐにバスは出発し、軽く手を上げてクワイ=ガンは見送った。オビ=ワンも見えなくなるまでその姿を見つめていた。


 携帯が鳴る。
「クワイ=ガン?すみません、遅くに」
「いや、家についたのか?」
「はい。あなたは?」
「今戻ったところだ。どうした?」
「あの、これから論文やろうと思って――」
「来週まででいいんだぞ」
「眠れそうもないんで、どうせなら時間を有効に使おうとおもって」
「そうか、無理はするな」
「はい。あの、さっきあなたが言いかけたのは」
「うん?」
「……執行猶予だ、そしてって――」
「ああ」
「……」
「そしてその時がきたら、花を持って逢いに行こう。君に合った華やかなのがいいかな?」

「……クリスマスローズがいいです」
「わかった、その時がきたら」
「ええ、その時がきたら――」

オビ=ワンは蕾がほころぶように微笑んだ。
電話ごしにクワイ=ガンはそれを確かに感じとった。
「ではお休み、わたしの――」
「え……?」
電話の向うの囁きの最後は聞き取れなかったが、そこで電話は切れた。



End

 この思わせぶりな終わり方ってどうよ。本当にクワイ=ガンが手を出さずにいられるか怪しいもんです(笑)
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