古美術商   − 歌仙 − 2

「知らないうちに、すり替えられたんでしょうか?」
「何ともいえません。気付いたのはいつです?」
「一月前、引越しがひと段落した後です、風を当てようと出して。もちろんここに掛けておいただけです。普段は空調装置が付いてるクローゼットの上においてあります。次の日箱に戻そうとして気付きました。どうも感じが違う様な気がして、けどなかなかわからなくて、写真を出して見比べて漸く――」
「その日、誰かここに来た人は?」
「ユウリ、婚約者です。彼女一人です。でもその日初めてこの軸を見せたんで、すり替えるとかありえません」
「きれいで、すっごく感じの良いひとよ」
とバント。
「ほとんど一緒だったし、彼女は夕方には帰りました」
「此れを見て何か言いましたか?」
「きれいだって。やはりアメリカから帰れて嬉しいだろうと言ってました」
「ほう。ひょっとしてユウリ嬢に贈るつもりだった?」
「そこまでは考えてなかったけど、始めこれを見たときちょっと彼女を思い出して、髪が長くて何となくはにかむ時の雰囲気が」

「あ!」
唐突にオビ=ワンが声をあげたので、3人の視線が注がれた。
慌ててオビ=ワンが手を振った。
「すみません。話続けてください」
「オビ=ワン、何か気付いたことがあれば言ってくれ。何でもいい」
「――えと、僕も今日見たとき、どうも雰囲気が違うなって思ったんです。写真では顔を隠して恥ずかしがってるみたいなのに、実物はもっと俯いて、悲しんでいるみたいだなって」
「そういえばそうね」
「バントこれは僕の只の感想、全然見当違いだから!」
「見たまま感じたままの素直な感想でいいんだ、オビ=ワン」
「いったい何が――」
大きく息を付いてソファに沈み込んだケンにクワイ=ガンは穏やかに声を掛けた。
「すり替えられたとは考えにくいが、軸其の物の価値は間違いない。動いたように見えるのは不思議と言えば不思議だが、確実なわけでもない。私から言えることは――」
「はい」
「このまま大事に保管し時おり飾って楽しむか、その気がなくなったのであれば、私が責任を持って預かり、新たな買い手を見つけてもいい」
「今は決められません……」
「そうでしょうな。もし何かあれば連絡――」
腰を浮かしかけたクワイ=ガンにケンが声をあげた。
「待ってください!」



「変な事になっちゃいましたね」
「ふむ」
少し身をかがめて店の鍵を開けるクワイ=ガンの背後で、オビ=ワンは例の掛け軸の包みを大事そうに抱えている。2尺足らずの幅の軸を収めた二重の桐箱を紺色の風呂敷で包んであった。(1尺=30.3cm)

 扉を開けたクワイ=ガンがオビ=ワンを身振りで中へと促し、再び中から鍵を掛けた。
奥の和室で、丁寧に包みをほどき、クワイ=ガンは再び掛け軸を取り出した。
「ケンがああいうのも無理ないんでしょうけど」
「離れてみたほうが、別れるかどうか決心をつけ易い、か」
「人じゃないんですから。品物を手離すか、どうかでしょう」
「気持ちを決めるまでうちで預かるのはいっこうに構わん。むしろ好都合ともいえる」
「クワイ=ガン?」
「さて、貴婦人のおでましだ」
クワイ=ガンは手袋をはめ、和室の床の間へ軸を吊るした。

 掛け軸の中心の実際の絵は案外小さい。縦1尺足らす、横もせいぜい1尺半。その中には驚くほど精緻に王朝時代の世界が描き込まれている。

 高貴な身分を著す飾り縁の畳に、これも上品な凝った飾りがほどこされた几帳(きちょう・布製などのついたて)に半身を隠し、袖で顔を覆ってうつむく女性、何枚も重ねた目にも鮮やかな衣の裾が花びらのように広がる。何より顔を見せない女性の白い肌と長い黒髪が息をのむほど鮮やかな対比を見せ、生き物のように波打ち、艶やかに衣装や畳に流れていた。

 座ってやや身体を捻り、袖から顔を隠そうとしているのか、出そうとしているのか。これほど高貴な身分であれば、めったなことでは顔を見せなかったということか。


 オビ=ワンは下がって、改めて床の間の掛け軸を眺めていた。
と、部屋を出たクワイ=ガンが戻り、オビ=ワンの横を通って床の間に行き、軸の前に両手で何かを置いた。そのまま下がってオビ=ワンの隣りに並んだ。するとその小さな陶器から幽かな芳香がただよってきた。
小首をかしげてクワイ=ガンを見上げるオビ=ワンに、クワイ=ガンは薄く微笑んだ。
「沈香を焚いてみた。まず歓迎の意をしめさんとな」
「どうするつもりですか?」
「本人に聞くのが一番確かだろう。ケンのマンションよりはうちのほうがくつろげるはずだ」
クワイ=ガンが言うと自然にきこえるが、他人が聞いたら絶対変に思う。それは自分が慣れてきたからだけど、とオビ=ワンは思う。


『――誰、私を呼んだのは?』
「クワイ=ガン……?」
「しっ、君はここまま側で」
クワイ=ガンが囁いてオビ=ワンの手を握り締めた。
オビ=ワンがこくんと肯く。
『懐かしい香り、ひさかたぶりに心地がいい』
「私はクワイ=ガン。話がうかがいたくておよびたて致しました」
『なにを?』
「故国へ帰れてさぞお喜びだったはずが、何を悲しんでおられますか?」
『……』
オビ=ワンの耳にはクワイ=ガンの声はきこえているが、斎宮女御の声は、聞こえるというより頭に響く様に感じられる。

「ケン、あなたを日本へ連れ帰った者ですが、お気に召されないなら、代わりの持ち主を探す事もできます」
『いえそれは――』
「では何が?」
『そのものは誰じゃ?』
「オビ=ワン、おそらく彼もあなたを感じられます」
うつむいていた斎宮女御の面が上がった、とオビ=ワンは思った。


 目の前に広がるのは白く茫洋とした靄か雲の中、何の影も見えない。足元の畳と几帳のみが形をなすだけだ。

 ――私は斎宮女御、と周りがそう呼んだ。ずっと前、たくさんの殿上人や、僧侶や女房が行き来して、私は身分上ここを出はしなかったけれど、女房が取り次ぎしてことづてや詠んだ歌をやりとりしていた。それが、ある日急に静かになり、ぱったりと誰の声も気配もしなくなった。たまに風を感じ座敷に出る事もあったけど、以前とは屋敷の様子もずいぶん違っていた。
再び長い間眠って覚めれば、見た事もない不思議な部屋。回りにいろいろあるが、見知らぬものばかり、その心細さといったら。言葉さえ聞いた事のない響き、異国だった。

 ある日、目の前に若い男が現れた。殿上人とは違うけど、異国の民とはあきらかに違う。そして懐かしい言葉を話した。私は願った。太った髪の赤い男でなく、この祖国の男のところに行きたい、と。
 そうして、男は私を連れてきてくれた。久方ぶりに感じた風は、まぎれもなく乾いた異国の空気とは違っていた。狭いが、静かな場所でこの男といられるならかまわない。


「どう、ユウリ?」
「きれいね、すごく繊細で。古い物なんでしょう?」
「そうみたいだけど、わからないんだ。一度専門の人にみてもらいたいと思ってる」
「わかるといいわね。あなたがこんな趣味あるって以外だったけど、素敵だわ、ケン」
「うれしいな、君がそう言ってくれると」

 仲むつまじく寄り添って、二人は私の前からいなくなった。
私はまた一人――


 やっと異国から戻れたのも、どうでもいいような心地がする。これからも誰にもかえりみられないで一人で過ごすなら、いっそ眠りから覚めないほうがいい。


――どこから幽かな香が漂ってくる。ああ、また違う場所に移されたのだ。けれど、もういい。このまま目覚めず、袖を涙で濡らしたまま、永久に眠っていたい。


「姫」
「あなたは、――主上 (おかみ)……?」
「いかにも。美しいひとが何を嘆いておられる?」
「誰も省みてくれる人はいません。私はいつもひとりです」
「私はどこへもいかないよ、この先ずっと」
「本当ですか、私をおいていかない?」
「すまなかった。そなたを永く一人にして」
「寂しかった。見知らぬ異国の方々が誉めてくださっても帰りたくて仕方なかった」
「辛い思いをさせたね。これからはいつも一緒だ」
「ここで?」
「ああ、ここで二人で暮そう。決して離さない」
「あなた――」
暖かい胸に抱き寄せられ、うっとりと目を閉じる。そのまま意識が遠のいた。


「――ワン、オビ=ワン」
「う、んん――」
目に飛び込んできたのは、深い青の瞳。何故か心配そうな声音。
「クワイ……?」
「気が付いたか、良かった」
「え?ああっ!」
息さえ触れそうな余りの顔の近さにオビ=ワンは目を見開き、睫毛をふるわせて瞬きした。気付くと、クワイ=ガンの首に片手を回してがみつき、大きな胸にちょうど納まるように、横向きにしっかりと抱かれていた。
オビ=ワンはとっさに抱きついていた手を離す。クワイ=ガンが小さく笑って静かにオビ=ワンを畳に下ろそうとする。
離れたのは自分からなのに、温もりが薄れていくのがオビ=ワンには何故か残念に思えた。


「気分はどうだ?」
「どうって?あの、僕はいったい――」
「どうも、お前が女御の依り代になったみたいだな」
「よりしろ?」
「のりうつったわけだ」
「はあぁ!?」
「私も予想外だった。むしろ女御が想い人と思ってお前に胸のうちを語ってくれるかと思っていたんだ」
「女御が僕に?じゃあ、あの男の人は――」
「女御にも連れ合いがいたほうがいいだろう」
不思議そうにクワイ=ガンを見上げていたオビ=ワンの瞳がぱっと見開かれた。
「呼んで来たんですか、その連れ合いの人」
「女御がそう思ってくれたらいいわけだ。そのほうが先々持ち主が変っても心配ない」
「――でも、つまりはうまくいったんですよね」
「そのようだな。お前がそう思うなら」
あ、とクワイ=ガンに抱かれていたことを思い出したオビ=ワンの顔がみるみる赤く染まっていく。
口元を綻ばせたクワイ=ガンは、またうつむくオビ=ワンに優しい眼差しを注ぎ、掛け軸に視線を移した。
と、そのまま動きが止まり、身を乗り出す。
「クワイ=ガン――?」
「見てくれ」
クワイ=ガンの指が示す斎宮女御の姿。


 俯き加減で袖で顔を隠す姿は変らないが、恥じらいながらも慎ましく身を伏せたその肩にも、流れる黒髪にも喜びが溢れている。
「――これだ」
クワイ=ガンが指で示したのは、女御が半身を隠した几帳にうっすらと浮かぶ人の影、それは横向きの男性のように見て取れないこともない。

 顔を近づけて覗き込んでいたオビ=ワンが呟く。
「前はなかったはず……」
「そうだな」
「じゃあ――」
「つまりはうまくいったんだろう」
クワイ=ガンが事も無げに言う。
「そうみたいですね……」


 しばし呆然としていたオビ=ワンを、クワイ=ガンは気分を変えようと食事に連れ出した。
「あの掛け軸、どうするんですか?」
「ケンにまかせよう」
「よけい困惑しません?」
「几帳の影は薄いし、絵全体に大した影響はない。価値も変らない。むしろ女御はケンに感謝して良い御守りになってくれるかもしれんな」
「だといいですね」
「ああ、恋人達の御守りだ」
恋人達!?ふいに先ほどの事が甦えった。自分は女で、愛しい人は髭をたくわえた優しい笑顔の男性。誰かに似ていると思ったけど――。
又赤くなりそうな頬を思わずオビ=ワンは抑えた。

「昔とも今ともいさや思ほえずおぼつかなさは夢にやあるらん」
「何ですか?」
「斎宮女御の和歌だ。意味はそうだな。昔とも今ともわかりません。これほど覚束ないのは、夢だったからでしょうか、といったところだ」

「おぼつかなさは夢にやあるらん。――今の気持ちにぴったりです」
「夢だったと思うか、覚めたらすべてなかったと」
「女御が僕にのりうつったなんて、夢にしといたほうがいいですね」
「そうかもしれんな、だが――」
クワイ=ガンがオビ=ワンを見つめる。その青い瞳の奥が笑っている。
「覚めてからのことは覚えているはずだ」
「それはもちろん!クワイ=ガンが僕を呼んで――あ……」
「暑いのか?今日のアルコールは回りが速そうだな」
「僕はすぐ赤くなるたちなんです」
グラスを置き、オビ=ワンは視線を落としてうつむいた。
ちょうど恥らう女御のように。



End

女の人にのりうつられるオビって――乙女っぽいというより霊感体質のような気がしてきました。クワイ=ガンが目をつけるはず(笑)
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