古美術商   − 歌仙 − 1

 ホテルの一室で、携帯からあまり聞かないメロディが流れだした。その曲に設定しているのは唯一人。
「クワイ=ガンですか?オビ=ワン・ケノビです」
「ああ、オビ=ワン」
「――あの、今大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。どうした?」
「相談に乗って欲しい事があって――時間のあるときで結構です」
「週末に東京に戻る。来週なら大丈夫だ」
「出張中ですか?すみません忙しいところ」
「構わないさ。何かあったのか?」
「友達に頼まれて見て欲しい物があるんです。この前花火大会に一緒に行ったバント」
「あのお嬢さん?そういうことかオビ=ワン」
「え!?」
「君から電話がくるのは珍しいと思ったが」
「そうでした?あ、すみません」
「いや、戻ったらこちらから連絡しようと思ってたところだ」
「え、あの」
「何か土産を買っていこう。京都に泊まっている。」
「ありがとうございます。無理されないで、気をつけて」
「ありがとう、君も。おやすみオビ=ワン」
「おやすみなさい、クワイ=ガン」


 オビ=ワン・ケノービは学生、遺言で譲られた器を古美術商のクワイ=ガン・ジンに見てもらったのがきっかけで、ちょっと変った付き合いが続いている。

 次の週、オビ=ワンはバントとクワイ=ガンの店を訪れていた。クワイ=ガンはシャツにノーネクタイだが、オーダーらしい濃いグレーのスーツがぴしりと決まり長い脚をいっそう引き立てている。

 緊張しながらも珍しそうに店内をみているバントに、クワイ=ガンは穏やかに説明しつつ美しいカップに淹れた紅茶を出してくれた。
「見て頂きたいのはこれなんです」
バントは一枚の写真を差し出した。掛け軸を背にした温厚そうな若い男性が写っている。
「従兄弟です。少し年上で兄みたいな人です。商社に勤めていて、この掛け軸もボストンのアンティークショップで買ったんです」

 通常縦長が多い軸では珍しく、幅が広く、長さも短めだった。それは描かれた構図のせいだろう。いわゆる十二単の、幾重にも重なった色使いの衣に埋もれるように座す王朝貴族の女性。長い黒髪の佳人がうつむき気味に袖で顔を覆い、身体の半分が御簾に隠れている。

「きれいな絵だね、バント」
「私も実物は見てないけど、そうよね。平安時代の貴族のお姫様?」
「写真ではよくわからないが、絵も表装もなかなか良い物のようだ。従兄弟さんはこれの価値を知りたがってるのかな?」
「実際そうですけど」
バントは少し身を乗り出し、声を潜めていった。
「不思議なことがあるんですって」
「不思議な事?」
思わず注がれたオビ=ワンの視線に、クワイ=ガンの片眉が微かにあがった。

「多分話しても信じてくれないけど、実物をみてもらえばわかるって言うのよ」
「バント、ジンさんは――」
「もちろん、こういったお仕事は信用が一番なことはわかります。ジンさんはこの分野のちゃんとしたすっごい専門家なんでしょう。けど、この前花火大会で逢った時、もったいぶった堅苦しい人じゃないって感じたから、この話も聞いてくれるんじゃないかと思ったの」
「私の仕事はね」
ちらとオビ=ワンをみた濃い青い瞳には楽しんでいるような風が垣間見え、視線をバントに戻してゆっくりと続けた。
「主に古い物を扱う仕事だ。現在の価値如何に関わらず、長い間にそれに係わった人々の想いや、それを気に入って自分の側に置きたい人々の気持ちを汲み取るのも大事な事なんだ」
「そうですね」
「時には、そういった想い入れが、思い込みや錯覚を生むことも多いし、実際にさんざん聞かされる」
「よかった!やっぱりジンさんに相談して正解」
「クワイ=ガンと呼んでくれ、バント」


 クワイ=ガンが食事でもと誘ったが、バントは母親が風邪気味だから買物を頼まれたと帰っていった。
「いい子だな」
「そうなんです。良い家のお嬢さんなのに全然気取らなくてやさしいし。お母さんの実家も旧家みたいですよ。従兄弟さんも子供の時から骨董好きだったとか」
「なるほど。ところで、気が付いたかオビ=ワン?」
「鳳凰ですね」
「君に連れがいるので、前もって箱から出しておいた」
店の奥のケースに、オビ=ワンがクワイ=ガンに預けている白磁の壷が端正なたたずまいを見せていた。
「君が来ると機嫌が良くなる。肌艶が違う」
「バントがそんなこと聞いたらびっくりしますよ」
くくとオビ=ワンの背後でクワイ=ガンが笑う気配がする。
「君は誰にも言わずにいてくれたんだ。私が――」
クワイ=ガンの大きな手が背後からそっとオビ=ワンの両肩に触れる。
「人に言っても信じないような事をいろいろ体験してると。見えたか?」
「ええ、おかげで僕も見えるんですから」
二人の瞳に、白磁の壷から抜け出し、七色の羽を伸びやかに広げて宙に舞い上がる鳳凰の姿が映っていた。


 数日後の休日、クワイ=ガン、オビ=ワンはバントとともに、都心から程近い私鉄沿線にある依頼人のマンションを訪ねた。

 バントの年上の従兄弟・ケンは近く結婚する予定で、最近越してきたという。商社のエリート社員だが、3人を迎え入れた様子はきさくな好青年という風だった。
「店に伺うところ、わざわざきていただいて有り難うございます。」
「こちらこそ、出来る限りお手伝いさせていただきましょう」
名刺を交換し、さっそく新しいマンションの中にはいる。リビングに続く一角に段差のない畳敷きの和室があり、既に、壁に件の軸が掛けてあった。

「これが箱です」
「拝見いたします」
床の間はないが、壁の下は家具が置けるほどの板敷きのスペースがある。箱はそこに置かれていた。和室に入ったクワイ=ガンが軸から距離をとって正座する。空気が変った。

 それは他の3人にもわかった。雰囲気が一変し、張り詰めた緊張感が漂う。背筋を伸ばして前を見つめるクワイ=ガンの表情からは何もうかがえない。正面から凝視した後、ゆっくりと視線が上から下へ移る。軽く頷いてポケットから手袋を取り出して両手に嵌めた。膝で前へ進み、箱を手にとる。

 それまで、クワイ=ガンの後ろで息を詰めて見ていた3人の緊張も緩み、ホッと息を付いて、身体を動かした。クワイ=ガンが時間をかけて箱の蓋や裏を見、その後、拡大鏡を出して絵や軸の細部まで見ている間、オビ=ワンとバントはリビングのソファに掛けて眺めていた。

 真贋どころか物の善し悪しなど、オビ=ワンはまったくわからない。そういうと、クワイ=ガンは笑って、物から受ける直感を大事にすればいい。いやな感じがなく、感動や美や優しい想いなど、見て触れた後に良い感じが残ったなら、それは自分にとって良い物なのだ、と。 

 写真の通りだが、直に見る色合いはもちろん違う。顔は隠しているがきれいな人だな、とオビ=ワンは思う。只、俯いて深く顔を覆う袖口が何か嘆いている様な気がする。写真を見たときはこんな風には思わなかったのに、実物は違うんだな。

「ケンさん」
「あ、よければケンと読んでください」
クワイ=ガンは内ポケットから写真を出した。
「ではケン。写真とこの軸は同じものですね?」
「そうです」
では、と前をみていたクワイ=ガンはケンの前へ向き直った。
「あくまでの私の知る限りですが、これについてお話しましょう」
「はい」
ケンが緊張してごくりと唾を飲む。
「――私達もいいですか?」
「あ、バントもちろん」
クワイ=ガンも二人を見て頷いたので、オビ=ワンとバンドも膝を付いて和室へ入った。


 皆にわかり易い様に、クワイ=ガンは丁寧に説明してくれた。

 絵の時代と作者は不明。おそらく江戸時代の初期、17世紀中頃から後半。狩野派の名手が描いたもの。もとは巻物か画帖や屏風。おそらく明治以降に零落した旧大名家などが手放した後、何らかの事情で元の台から剥がされ、この絵のみの掛け軸に表装された。箱書きにある大正初年と当時の豪商の名からこの掛け軸の持ち主が推測でき、その後人出に渡るうち、海外に流出したのだろう。

 作者や時代が確定出来ないし、保存が良くなかったので傷みもあるが、絵も表装も優れている。売りに出せば百万は下らないだろう。

「やっぱり、アンティークショップの店長の言ったのは本当だったんだ――」
「ケン、いくらだったの?」
「何回か交渉してこんだけ」
ケンは親指を中に入れ、他の指を4本立てた。
「4000ドルか、いい買物をしましたね」
「ええっと、今の円にして50万くらい」
「初め見たときは買い手が決まってたんだ。それがキャンセルになっから此れ幸いと思って。店長は1万ドル以上でも買う人はいくらでもいるって言ってたけど、何回も通った。もちろん大金だから思い切った買物だったけどね」
「縁があったのでしょうな。彼女も日本に帰れて喜んでいるでしょう」
「――どんな人かわかりますか?」
「断定はできないが、斎宮女御だろう」

  【斎宮女御(さいぐうのにょうご)】
    斎宮とは伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として天皇の即位後ごとに未婚の内親王または
    女王から選ばれた。いつきのみや。
    斎宮の女御とは平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。徽子女王(きしにょおう)。(929〜985)
    承香殿女御、式部卿宮女御とも。斎宮に任じ、のち村上天皇の女御。歌合せを催す。
    歌集「斎宮女御集」 出典・広辞苑

「ふうん」
「高貴な生れで神に奉仕した後、天皇に嫁いだ。三十六歌仙の中でも特に人気がある。何といっても絵柄が優美で華やかだ」
「とびきりのお姫さま、というか貴婦人ね」
「源氏物語の六条御息所のモデルになったといわれている」
「一介の庶民の家にいていただくのはもったいないみたいですね」
「今の時代そんなことはないが、君は絵そのものより気になる事があるんだろう?」
クワイ=ガンの問い掛けにケンは顔を上げ、掛け軸をふりかえる。そうして顔を戻し肯いた。


 和室の隣りのリビングのソファーに皆で移り、バンドも手伝ってケンがコーヒーを淹れた。
「クワイ=ガンは気付いたみたいですね」
カップを受け取ってクワイ=ガンが軽く肯く。
「何の事、ケン?」
「前に掛け軸の写真のコピー渡しただろう、バント」
「ええ、クワイ=ガンとオビ=ワンに見てもらったあれね」
「あれは、半年前に購入した直後に撮った写真だけど、どうも違うんだ」
「違うって何が?」
「彼女、斎宮女御の姿勢と言うか、頭が――」
ケンは大きめに拡大した写真をテーブルに置いた。

「今は、前より深く頭を垂れている」
「まさか!?」
オビ=ワンはバントは思わず頭を寄せて写真を覘き込み、次いで掛けてある軸の女御を凝視した。
「うそ……?」
オビ=ワンは思わず目をこする。
「ちが、う」
クワイ=ガンはと見ると、顎に手をあて何事か思案しているようだった。



続く

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