古美術商 | − たなばた − | |
それは突然だった。 『急ですまないが、明日の午後空いてないか?』 「1時過ぎなら大丈夫です」 『良かった。近くの神社で結婚式をあげるんだ!』 「は?えぇえっ!」 突然のクワイ=ガンの宣言に、オビ=ワンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 誤解されたと知ったクワイ=ガンはすぐに忙しなく付け加えた。 『アイラは知ってるだろう?彼女が恋人と結婚することになった』 ああ、とオビ=ワンは電話を持ったまま肯く。 結婚に反対の家族は出席せず、友人のみの立会いで式を挙げてその日のうちに新郎の仕事先のアフリカへ向かうという。アイラはクワイ=ガンの知り合いで花火見物に誘ってくれた家の娘だった。たしかオビ=ワンより少し年上だった。 あらましはこうだった。 新郎はキットという若い医師、今はNOPを通じてアフリカへ派遣されている。キットは地方出身で親は既に亡く奨学金とアルバイトで医師になった苦労人だった。資産家のアイラの両親が娘には内緒のお見合いで出席させた集まりに、偶々友人の医師と共に来ていたのがキットだった。 どういう訳か互いに引かれるものがあって付き合った二人だが、結婚には障害が多かった。アイラの両親は良い顔はしなかったが、有名病院にでも勤務したら許したかもしれなかった。だがキットは以前から海外派遣を希望しており、恋人の懇願にも志しは変らなかった。そうして、キットはアイラに別れを告げ、予ねて希望していたアフリカへ飛び立っていった。 クワイ=ガンが彼女と逢ったのはそんな時だった。 『母親と来ていたお茶会の後、私に古い物を扱っているなら桶はないですか?って聞いたんだ』 「桶、ですか?」 『七夕の茶事だったんだ。よくよく訳を聞くと、昔の言い伝えで水を張った桶に空の星を映して揺らせば、水の中で牽牛星と淑女星が出逢えるというんだな』 「じゃあ、アイラは彼が忘れられなかったんですか」 『そういうことだ。別れた後、いくら他の人を紹介されても心が動かない。いっそ親も何もかも捨ててアフリカへ行こうと思いつめていたんだ――2年ほど前だ』 「2年かかって周りを説得したんですか?」 『それが、その時はとりあえず思いとどまらせた。いきなり彼の元にいっても、向こうも大変だろうし、現実的な方向を見出すようすすめた』 「それで?」 『彼の側で助けになるスキルを身に付けてはと助言した。まあ時間かせぎというか、熱が冷めるかもしれんと思ったんだが』 「看護士にでもなったんですか?」 『さすがに親に隠してそれは無理だったから、医療秘書の資格といくつか語学関係の資格をとったようだ。キットのいるのはアフリカでもちゃんとした街の病院だ。NOPに応募して正式に派遣されることになった』 クワイ=ガンはそこでちょっと言葉を切った。 『アイラの頑張りで意志を貫いたわけなんだが、最後に難関があった』 「家族の人ですね」 『いや、キット本人。頑として結婚できないと言われたそうだ』 「え、どうして?! 『向こうの立場になればわからんでもない。一緒になりたい一心で来られても、実際に生活してみればお嬢さん育ちのアイラが厳しい現実に当って逃げ出すかもしれん』 「――それは二人で乗り越えるものじゃないですか」 『ほお、アイラも同じ事をいったぞ』 「あたりまえです。結婚は二人でするんだから」 電話の向こうで一拍沈黙が続いた後、クワイ=ガンが続けた。 『確かに、そうだな。アイラがそれでもかまわないと一人で出発する準備をしていたら、キットが急いで帰国してきた。それで明日、急遽結婚することになった。婚姻届だけ出すつもりだったんだが、恩師や友人のすすめで近くの神社で式を挙げて、レストランでささやかにお祝いすることになった。私も行きがかり上、立ち合う。君も知り合いだし都合がつけば一緒に祝ってくれないか?』 「喜んで!」 『平服というか――ジーンズとTシャツじゃなければいい。あと普通のデジカメで充分だが写真係りを頼めるか?』 その日、オビ=ワンはいったんクワイ=ガンの店に寄って一緒に神社へ向かう事にした。 「こんにちは、クワイ=ガン。降らなくて良かったですね」 「梅雨の真っ最中だからな。早かったが昼食べてないのか?」 「結婚式の後レストランなので大丈夫です。すぐ出ますか?」 「そうだな――上着をとってこよう」 麻のジャケットを着て奥の和室から出てきたクワイ=ガンは手に黒っぽい布袋を持っていた。オビ=ワンの顔に浮かんだ好奇心を見て取り、黙ってそれをテーブルに置いて中の物を取り出す。 女性のコンパクトほどの大きさのそれは、平たくて丸みをおびたまるでドラ焼きのような形。光沢のある夜空のような深い紺色が目を引く。光線の加減なのか表面を流れる筋が紺から群青そして青へと鮮やかなグラデーションを描いている。 「すごく綺麗な色ですね。これ何ですか?」 「香合だ。茶席等の床飾りに使う」 「古いものですか?」 「明治の初めぐらいだろう。伝統的な七宝焼きに新しいデザインを取り入れた時期の品だ」 「七宝焼きって金属でしたっけ?」 「そう、金属の下地に鉱物の釉薬で色をつけて高温で焼き上げると表面がガラス状の幕になる。すべてが手仕事の伝統工芸だ。今でも勲章などは七宝焼きで造られている」 「表面のこれ、模様ですか」 「天河、という銘がついてる。天の川のことだろう」 「確かに、そんな感じですね」 クワイ=ガンが手に持って蓋を開ける。中は空だった。 「香合だが、小物入れに使ってもいい」 クワイ=ガンが掌にのせてくれたので、オビ=ワンはまじまじと夜空と銀河を凝縮したような香合を眺めた。見詰めていると小さな宇宙に吸い込まれそうな錯覚さえ覚える。 「これひとつで銀河系って――何ともいえない贅沢ですね」 「アイラにやろうと思う。急だから指輪は間に合わないかも知れない、それにキットは仕事中指輪はしないから必要ないと言っていたんだが、心当たりに頼んで何とか間に合った」 「クワイ=ガンの知り合い?」 「まあな。指輪入れにもなるし、題が夏の物だから記念にやろう」 「喜んでくれますよ」 「だと良いが――行こうか?」 小さな神社の控え室には新郎新婦以外は、本当に数名のみだった。 新郎のキットは日に焼けて上背もあり逞しく、朴訥な風貌というか、すらりとして洗練された美女のアイラと並ぶと、失礼ながら美女と野獣というたとえが浮かぶ――けれど、想いをつらぬいた花嫁の笑顔は、オフホワイトの膝丈のワンピースに淡色のバラの生花を髪に飾った清楚な装いにかかわらず輝いていた。 「おめでとう、アイラ、すごく綺麗だ!」 「オビ=ワン!来てくれてありがとう。クワイ=ガンにはすごくお世話になったわ」 「すばらしい花嫁だ」 クワイ=ガンはかがんで花嫁の髪にやさしく口づけた。 「指輪は間に合ったようだね?」 「おかげ様で、さっきキットが受け取りにいってきたの」 キットは初対面の二人にぎごちなく礼を言い、ジャケットのポケットから小箱をとりだした。 「開けて良いかな?」 指輪と聞いて、キットの恩師と友人、それにアイラの友人らしい女性も顔を向けてクワイ=ガンの手の箱に注目する。 クワイ=ガンがゆっくりあけた箱の中身は、本当にあっさりした縁飾りのみの金の指輪が並んで入っていた。 「イニシャルと日付は確かめたのか?」 「は、はい、もちろん。今日は7月7日だし」 「そういえば、七夕だった」 クワイ=ガンが肯いて指輪の箱をキットに返し、自分のジャケットのポケットから先ほどの袋に入った香合を取り出した。 「記念に受け取ってくれるかな?これは指輪入れにもなると思う」 「クワイ=ガン、いろいろして頂いてその上――」 そこで、アイラの視線はクワイ=ガンが差し出した香合に釘付けになった。 「――これ、ママ――いえ家にあるのとよく似てます」 「よく覚えてたね。同じ職人のものが最近手に入ってね。天の川の模様だし今日の記念になるだろう」 「ありがとうクワイ=ガン。大切にします」 アイラがそれを受け取った時、中から微かな音がしたようだった。 中は空だったはずとオビ=ワンが思う間もなく、そっと蓋をあけたアイラは目を大きく見開いた。 「ママ……」 中には、青く輝く星のようなサファイアに真珠をあしらった一対のピアス。それは今花嫁の首元を彩っているサファイアのトップがついた真珠のネックレスと揃いのものだった。 見つめるアイラはそれ以上言葉がでず、ふいに顔を覆って泣き出した。 キットは何がおきたかわからず立ち尽くし、クワイ=ガンは眉を寄せ、オビ=ワンは困惑して見つめる。そこへ、アイラの友人のティーがやさしく花嫁の顔をのぞき込んだ。 「お母様がピアスを届けてくださったのね?アイラ」 アイラは黙って肯いて鼻をすすり上げた。 「良かったわね、さ、付けてあげる。お化粧も直さなきゃ」 ティーはアイラの肩を抱き、顔を上げて長身のクワイ=ガンを軽くにらんだ。 「泣かせすぎですわ、クワイ=ガン」 「――すまない……」 幸い、アイラは一時で泣き止み、少々の遅れで式は始まった。神前の誓いは滞りなく進み、式を終えたアイラは晴れやかで美しい笑みを浮かべていた。そのままタクシーに分乗して披露宴代わりの食事会のレストランへと向かった。 オビ=ワンはピアスのことを聞きたかったが、二人きりになれる暇はなかった。それに困難な恋を貫いて新たな夫婦になった二人を囲む食事会は楽しく過ぎた。なごやかな雰囲気に急ぐことでもないと思ったオビ=ワンがやっと聞けたのは、夕方お開きになってクワイ=ガンのマンションへ戻ってからだった。 「良かったですね。人が少ない分すごく暖かい雰囲気だった」 「そうだな」 クワイ=ガンはジャケットを脱いで掛け、ソファに長身を沈めた。オビ=ワンも向かいに腰掛ける。 「――ところで、あのピアス預かってきたんですか、クワイ=ガン?」 予期していた質問に、クワイ=ガンは前髪をかき上げ、ゆっくりと息を吐き出した。 「いや。だがあれは母親がアイラの誕生石のサファイアを結婚する時持たせようと思っていたらしい。ネックレスは20歳の時アイラに贈り、ピアスは結婚する時の為にとって置いたようだ。アイラは家を出る時ネックレスだけ持って出た」 「あの香合もアイラの家にあった物ですか?」 「似ているが、別々の品物だ」 「つまり、ピアスが勝手にやってきた訳ですか、アイラの元に」 「あの香合とアイラの家にあるものは、同じ職人が作った品物だ。いくつ作ったか知らんがデザインは同じでも出来上がりの色が微妙に違うからまったく同じ物は出来ない。 それに箱書きに小さく『西』と書いてあった。勿論ひとつでもちゃんとした品だが、職人の洒落っ気というか、広大な天の川を表すのにおそらく二つ並べたデザインにしたんだろう。アイラの家にあるほうが『東』なら、一対、まあ兄弟といったところだ」 「その香合同士が相談でもして中の品を送り届けた――なんて誰か信じてくれるでしょうか?」 クワイ=ガンが言うとなんだかそんな気がしてしまうけど、高価なピアスはちゃんとアイラに渡ったから良かったものの、悪くすると黙って持ち出したと疑われかねない。 「――僕はともかく」 そう付け加えたオビ=ワンの顔を、口の端を僅かにあげたクワイ=ガンは面白そうな目で見返した。 「さあ――」 その時、電話が鳴った。 オビ=ワンはクワイ=ガンの話し振りから、電話の主がアイラの母親ということは想像がついた。篤く感謝されクワイ=ガンは恐縮している。 「――それには及ばない。そう、まだ間に合う。ああそれがいい」 「アイラの母親だった」 「だと思いました」 「携帯で送った写真を見て、やはり、空港まで見送りに行くといった」 「良かったですね」 「父親が絶対行くなと言ったから迷っていたが、これから出るそうだ」 「そうですか、ピアスのことは言ってました?」 「実は、よほど結婚式にピアスを届けたかったそうだ。そのつもりで宝石箱からちょうど手頃なあの香合に移しておいた。それが写真のアイラがちゃんと付けてる。 多分、アイラが持って出たのを忘れて勘違いしたんだと思う。そう思ったら、物忘れが激しくなる一方出しどんどん歳をとっていくのにつまらん意地など張って遠くに行く娘と仲違いしてられない、と思い直したそうだ」 「――素直な人ですね。おかげでホッとしました」 クワイ=ガンは可笑しそうに笑った。 「飛行機の時間に合わせたから食事会も案外早くすんだな。少し飲み足りないんだがつきあってくれるか?」 「いいですね。楽しい気分が残ってるからお付き合いします」 オビ=ワンは身軽に立ち上がった。 「手伝います。さっきは食べるほうが主だったから」 並んでキッチンに立ってふと暗くなった窓の外を見ると、いつの間にか雨になっていた。 「昼は降らずに良かった」 「そうですね、けどせっかく七夕なのに夜が雨だと織姫と彦星が逢えなくて残念かも」 「元々旧暦の七夕は梅雨開け後の8月ごろだ。明治以降の新暦はちょうど梅雨時期になったが、今でも七夕を8月にする所もある」 「そういえば東北の七夕は8月ですね」 「七夕の夜に雨が降る事を『さいるいう』という。『酒涙雨』の字をあてる」 「逢えない二人の涙雨?」 「年に一度のデートがお流れになっては泣いて酒でも飲むしかないだろう」 「う〜ん、酒好きがかこつけたような気も。さ、出来ました。これ運んでもらえますか」 「よし。多分アイラの父親も今頃一人で飲んでるな。頑固だが根はいい男だ。そのうち折れるだろう」 差し向かいで飲み返すうち、クワイ=ガンがゆっくりとグラスを掲げた。 「――君は結婚をどう思ってる?」 「今は全然想像できないなぁ。学生だし」 酔いが回ったせいかオビ=ワンの口調も変わってきた。 「そうだろうな、では親を泣かせるような人を好きになったらどうする?」 「うちは根っから庶民だし、誰とだって反対なんかしないですよ」 すでに瞳がとろんとなっているオビ=ワンが考えるようにちょっと首を傾げる。 「反対されたら、その時考えます」 「なるほど」 「それより、クワイ=ガンこそどうなの?もてて困るから選べない?」 「まさか」 酒のせいで普段決して言わないオビ=ワンの問いにクワイ=ガンは苦笑する。 「私はおそらく結婚しないだろうな。向かないんだ」 「もったいな〜い!すごく格好良くて僕の憧れなのに」 「それは、光栄だな」 「本当だよ」 オビ=ワンはにっこり笑ったかと思うと、小さく欠伸をしてそのまま瞳を閉じ、寝入ってしまった。 クワイ=ガンはオビ=ワンが楽なようにソファに横に寝かせてやり、毛布を持ってきて掛ける。オビ=ワンは少し動いたが、又横向きになって寝てしまった。 「オビ=ワン」 クワイ=ガンは小さく微笑んでゆっくりと語り掛ける。 「雨の七夕を悲しまなくていいんだ。下界は雨雲でも上空はいつでも晴れだ。織姫達はかえって誰にも見られないで心ゆくまで逢瀬を楽しめるんじゃないか?」 オビ=ワンは応えるかのように口の中でむにゃむにゃ言ったが、目は閉じたままだ。 「お休み、良い夢を」 クワイ=ガンはオビ=ワンの金色の髪をかき上げ、そっと額に口づけた。 End |
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