古美術商   − いしぶみ − 

 桜も咲き始めたうららかな春のある日、春休み中の学生のオビ=ワンは古美術商クワイ=ガンの店「時代堂」を訪ねた。
都心に近いのに、この一帯は別の時代にでも紛れ込んだかと思うほど昔のたたずまいが残り静かで人通りも多くない。

「こんにちは」
足取り軽く入り口の戸を開けると、店内にいた長身のクワイ=ガンが振り向いた。
「いい天気ですね、クワイ=ガン」
「そうだな」
中に入ったオビ=ワンは良かったら、と小ぶりな包みを差し出した。
「来る途中、店の貼り紙見たら食べたくなって。桜餅です」
「ほう」
「甘い物苦手でしょうけどたまにどうですか?」
「ありがとう、お茶を煎れて来よう」

 包みを開けると形の異なる桜餅が2個づつ入っていた。関西風の丸いおはぎ形の道明寺と、薄皮でこし餡を二つ折りに包んだ関東風。
「クワイ=ガンの好みわからなかったし、どっちも美味そうだったから両方」
屈託無く笑うオビ=ワンは無類の甘い物好き、それはクワイ=ガンもとうに知っている。
「私は皮でくるんだ方か。長命寺ともいうな」
「やっぱり。僕はどっちも好きです、じゃいただきます」

 瞬く間に2個食べ終えたオビ=ワンは香り高い緑茶を飲んで、満足そうに息を吐いた。
「美味かった。――で、今日は用事があるということでしたが?」
穏やかな眼差しでオビ=ワンの姿を眺めていたクワイ=ガンは肯いた。
「奥のほうがいいだろう」

 クワイ=ガンは店の奥の和室へ向かい、戸棚から小さな箱を取り出して二人が向かい合わせに座った畳の上に置いた。

 葉書ぐらいの大きさの木箱を開けると灰色がかった紫色の柔らかなそうな布。クワイ=ガンはそれを取り出して丁寧に前に置き、両手で四角い布を開く。袱紗型の布は裏は無地だが、開いた側はやはりずいぶんくすんだ濃い紫の地色に、よくみると絞りで細かい花模様が散らしてあった。

 静かに見ていたオビ=ワンだが、布の中から現われた物に思わず目を見開いた。
「……これ、何ですか?」
「何に見える?」
「見たところ、石みたいです」
「そのとおり」

 クワイ=ガンは手を伸ばしてその小石を取り上げ、オビ=ワンの掌に乗せた。
「どう見てもその辺で拾ってきた只の石だ」
オビ=ワンは掌に乗せられたその黒っぽい小石を親指と人差し指でつまんでまじまじと見つめた。せいぜい数センチの小石は表面が滑らかで、よく見ると真紅の線が縞のように走っている。

 外見からは特別はところは何もない。けれど、オビ=ワンはこれまでクワイ=ガンと供に不思議な事柄をいくつか経験してきた。目の前のクワイ=ガンは何も言わない。オビ=ワンは両手の間に小石をはさみ、軽く目を閉じた。


 目を開けると、頭を屈めて見つめていたクワイ=ガンと目が合った。オビ=ワンは思わず瞬きする。目の前の深い青の瞳が無言で問いかけていた。
「――何もありません。というか前みたいに見えたり感じたりしなかった」
「そうか」
クワイ=ガンは静かに息を吐いた。

「実は私も同じだ、何回がやってみたが。君ならと来てもらったがやはりそうだった」
「クワイ=ガン、この石のことで何か頼まれているんですか?」
「いや、これは形見分けみたいなもので、知り合いが届けてくれたんだ。私が貰った物だし仕事とは関係ない。実をいえば、値打ちがあるのはこの布のほうだ」
「布?」
「別布で裏打ちされているが模様の有るほうの生地がだいぶ古くて昔の小袖の切れ端らしい。辻が花染めと言って江戸時代絶えてしまったんだ。ようやく最近になって復元されている。私はこの方面は明るくないんだが、当時の古裂は歴史的価値もあるし高い値がつく」
「はあ」
「といっても私は特別興味はない。むしろこの石のほうが気になった」
「形見分けって言いましたね?」
「何ていったらいいか――」
普段歯切れの良いクワイ=ガンには珍しく言葉を切り――下を向いてゆっくりと石を元通り布に包んだ。

「メイスが届けてくれたんだ。最近、昔世話になった人が亡くなったんだが高齢でもあるし、ごく身内で葬式を済ませたらしい。メイスも遺品の処分を相談されて知った。故人は几帳面な方で、誰に何をやって欲しいと書き残していかれた」
「それがこれですか?」
「ああ、余計な詮索なんかしないでいただいておけばいいんだが、ついな」
クワイ=ガンはちょっと自嘲気味に口許を歪める。
「日頃の癖がでる」
「ああ――。けど、どの品物も何かあるわけでもないでしょう?」
「そうだな」

 少しの沈黙の後、クワイ=ガンは顔を上げてオビ=ワンを見た。
「いしぶみ、という言葉、聞いたことあるかね?」
「いしぶみ?いえ、石の文、ですか?」
「そう、伝説みたいなものだろうな。文字がなかったか頃か、文字を知らない者は遠くの人に自分の気持ちを言付けるのに石を使った。受取った者はそれを見て相手の気持ちを推し量る」
「石のラブレター?」
「そうだな」
クワイ=ガンは少し顔をほころばせた。
「亡くなった時、タールはいしぶみの研究をしていて――すまん、タールというのは私の友人で10年程前に病気で亡くなった。発病してあっけないほど早く死んだから回りも信じられない程だった。タールは直前まで先頃亡くなった人に師事していたから、ひょっとしてそれに関係があるかとも思った」
「タールさんは女性の方?」
クワイ=ガンは肯く。
「子供の時から知り合いでけんか友達みたいなもんだ。大人になっても変わらず仕事も張り合った。私達はずっとそういう風に付き合っていくのが当たり前みたいに思っていた」
「……」
「すまん、湿っぽい事を聞かせてしまったな」
「いえ、けどクワイ=ガンはタールさんのこと楽しそうにいってるから、良い思い出になってるんじゃないですか?あ、何も知らないのにすみません」
「そのとおりだ。今では良い思い出ばかりだが、しかしおっそろしく気が強くて、こっちが何かすると倍になってかえってきたからな」
「あなたが?」
「私だって子供の頃から大きかったわけじゃない」
憮然とした長身の男の返事にオビ=ワンはつい小さく笑い出し、つられてクワイ=ガンも笑った。

「外の空気でも吸いにいこうか。暖かそうだな」
「あ、途中咲き出した桜ありました!」
では、とクワイ=ガンが立ち上がった。
「行こうか。とっておきの場所がある」



 店のすぐ後ろ、クワイ=ガンが住むマンションの脇を通り抜けると細い坂道が続いている。表通りからはわからないが周辺はけっこう坂が多い。クワイ=ガンに付いて住民しか通りそうもない細道を行くとマンションや住宅の間にふいに小さな公園が現われた。

 公園といっても本当に空き地のようで芝生にベンチと花壇があり、一角にそれほど太くない数本の桜があった。公園の奥は土手になっていて下に張り出した薄紅の霞のような枝先は時折り風に吹かれて揺れている。
「ずいぶん咲いてます!」
「斜面は南向きだから日当りがいい」
二人はちょうど桜の下に有るベンチに腰を下ろした。平日の昼過ぎのせいか人影はほとんどない。

「毎年見てるけど、やっぱりきれいだ」
嬉しそうに花を見あげたオビ=ワンは思わず出た言葉にありきたり過ぎるかとちょっぴり照れくさそうな表情になった。
「確かに毎年のことなのに――」
クワイ=ガンは前をみたまま、ゆっくり話り出す。

「つぼみが膨らみ出すといつ咲くかと浮き足立ってそわそわし出す。咲き始めると今度はどれぐらい咲いたとか、満開だとか、いつまで咲いているかと落ち着かない。散り出せば散り際さえどうのと言い出す。千年以上前から桜をみる気持ちは変わらんようだな」
「そうですね」
「世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし、有名な和歌だが、恋の歌とも言われている」
「そうなんですか?」
「あなたさえいなければ私は心穏やかにいられるのに、といったところか」
「そういわれれば恋の歌みたいですね」


 二人はそれきり口をつぐんで桜を見あげていた。あたりは都会の真ん中が嘘のように騒音が遠い。クワイ=ガンはブレザージャケットの胸ポケットから何か出した。オビ=ワンが顔を向けてみると、さきほどの小石を包んだ袱紗だった。

 膝の上で布を開けてクワイ=ガンは黒い小石を取り出し、両の手の間に握って僅かに眉を寄せた。
そのまま少しそうしていたが、苦笑気味にオビ=ワンに声を掛ける。
「すまんな。何故か出掛けに持ってくる気になった」
「いえ、それで――どうですか?」
「ポケットの中で微かに動いたと思ったんだが――変わらないな」

「願はくは花の下にて春死なん−―これも桜の歌だが、聞いたことあるかね?」
「あー多分、けどその先はどうでしたっけ?」
「そのきさらぎの望月のころ、西行法師の句だ」
「ああ確かに、――気持ちはわかるような気がします」
「実際にその願いがかなうのは少ないだろうが、タールの命日は3月だった」
「桜、咲いてました?」
「覚えていない」
クワイ=ガンは膝に広げた袱紗に小石を置いたまま、遠くを見て呟く。

 隣りでその横顔を眺めていたオビ=ワンが何か気付いたように、身を乗り出した。
「ちょっといいですか?光ったみたいな気が」
「光った?」
オビ=ワンは横から石を手にとって目の高さに持ち上げた。
「やっぱり!陽があたるとほら」
黒い石の表面に走る真紅の筋が光にひらめき、不思議なほど輝いている。
「それに、暖かい。陽に当てたせいかな」
オビ=ワンは小首を傾げてクワイ=ガンの掌に小石を帰し、自分の手を添えて軽く握らせた。
「温かいな」
「でしょう」
「だが……」
二人は顔を見合わせた。けれど、何度か二人で経験した不思議な光景は何も浮かんでこない。

「タールのことが何かわからないかと思うのは私の勝手な思い込みだ。もともと何の根拠もない」
クワイ=ガンは石を握っていた手を開き、立ち上がってオビ=ワンがしたように指でつまみ目の高さで陽にかざした。
「今この石から感じるのは、只――変わりなく無事に暮らしている。時折りは懐かしく思い出す、そういったことだ」
「クワイ=ガン……」
「遠くに離れた人にこう伝えたい。こうあって欲しいという気持ち――平凡だが、いつの世も同じだ」
「そうでしょうね」

 その時、風が揺らした長い枝の先が立っていた長身のクワイ=ガンの目の前を過ぎった。
とっさに額にかざした手から小石がこぼれ落ちベンチの縁に当って高くはずみ、そのまま土手の坂を転がっていく。

 とっさに後を追った二人は、繁った下草を僅かに揺らして急な斜面を落ちていく小石の動きがわかっただけだった。上から覗き込んでみてもどこで止まったかさえわからない。
「下りてみましょう」
「待て、下は私有地だ」
確かに土手の下は際まで高いフェンスが廻っていて、マンションが建っている。
「訳を話して入れてもらいましょう」
「――いや、いい」
「え、でも」
「あれがいしぶみだったなら、読み終えたら役目がすんだわけだ」
「クワイ=ガン?!」
「そんな気がするんだ」
「いいんですか、本当に」
「もういいだろう」
クワイ=ガンの言葉に応えるように、又も花を付けた長い枝を風が揺らす。満開にはまだ早いのに、ひらひらと数枚の花びらさえ散っている。

 その舞い落ちた花びらの先を追うと、さっき放られてベンチの下に落ちた袱紗が目に入った。
クワイ=ガンは眉尻を下げ、膝を屈めてそれを拾い上げ――畳もうとして手が止まった。
そのまま両手で広げ、じっと古裂に見入っている。何事かと顔を近づけたオビ=ワンも息をのんだ。

 長い月日の間に色褪せ、変色した布の地色が艶やかな薄紅の桜色に変わり、辻が花独特の絞り染めの花模様が鮮やかに浮き上がっていた。

「こんなことって――」
返してみれば、裏は元通りの無地の紫。
「不思議なこともあるもんだな。桜色の地の辻が花は始めてみた」
しばし無言で眺めた後、淡々とした口調で呟き、クワイ=ガンは丁寧に袱紗をたたんで胸ポケットにしまう。

 そうして、大きな瞳で自分を案じるように見あげている青年に優しく声をかけた。
「ありがとう、オビ=ワン」
「僕は何も」
「付き合ってくれて、良い花見になった」
「なら良かったです」
「花見だんごならぬ桜餅までごちそうになった」
「自分で食べたかったし、いつもごちそうになってるのはこっちです」
「さて戻るか、風が出てきたな」


 二人はもと来た坂道を下り始めた。
「そういや君は春生まれとか言ってなかったか、誕生日はいつだ?」
「3月の終り、31日です」
「ほう」
長身の男は足を止め、振り返って青年を見た。

 桜の花のような艶やかな肌色、金褐色の短い髪、何より大きな湖水色の瞳。
クワイ=ガンは目を細め、うっすらと微笑んだ。
「春の神か花の精が舞い降りたというわけだ」
「は!?ぼ、僕は男ですっ」
オビ=ワンは異を唱えたが、背を向けたクワイ=ガンは愉快そうに肩を震わせ、そのまま大股で坂を下っていった。



End

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