古美術商   − 雛人形 − 

 ふいに、ふわりと優しい香りがした。足を止めて頭を巡らすと、住宅の塀超しに伸びた枝に点々と白い花がほころんでいる。2月も後半となれば梅が咲き出し、春が遠くないこと知らせてくれる。「時代堂」へ向かうオビ=ワンの足取りもつい軽くなった。

 店の戸を開けたオビ=ワンはいつもと違った雰囲気を感じた。ケースや棚に端然と置かれた品々の佇まいは見慣れたものだが、戸が半分空いた奥の和室からこぼれる華やかな色彩が店全体を明るく照らしているようだった。


「こんにちは、クワイ=ガン。雛人形ですか?」
部屋の外から声を掛けると濃い色のズボンにブルーのハイネックのセーターの大きな背が振り向いた。
「やあオビ=ワン。狭くて悪いな、けっこう場所をとるんだ」
いつも通される六畳の和室はほとんど入る余地がなさそうだ。赤い毛氈を敷いた台には数体の人形が並べてあり、周辺には大きな木箱がいくつも置いてある。
「作業中ですか。よければ手伝います?」
「すまんな、人形はともかく、御殿は一人では難しい」
「御殿?」
「そこの一番大きい箱だ」
クワイ=ガンが蓋を開け、周囲に注意しながら寄って覗き込んだオビ=ワンは目を瞠った。
それは確かに御殿というか、平安貴族がすんでいた寝殿造りを模型にでもしたみたいだった。
「御殿飾り、というんだ。王朝の御殿を模して作られたんだ。戦前、華族や資産家があつらえた贅沢な品だ」
「へえ、わざわざ人形の為に作ったんですか。細かいところまで丁寧によく出来てますね」
「本塗りに蒔絵だ。その手袋を使ってくれ。よし、持ち上げよう」


 ほどなくして飾り終えた雛人形を、オビ=ワンは少し下がって物珍しげにあちこち眺めた。
「古い物らしいけど、すごく凝ってますね。人形の顔や着物も繊細だし。あれ、お雛様はまだ出してないんですか?」
「それが、ないんだ。だから場違いな私のところへ持ち込まれた」
「主役のお雛様だけない雛飾りなんですか。こんなに綺麗なのに?」
「それなんだが――」
御殿に納まったお雛様だけない雅やかな雛飾りを見つめ、クワイ=ガンは話し出した。


 戦前の資産家の令嬢の物だったというそれは保存もよく、いわゆるお雛様、女雛も揃っていれば美術的価値も高いという。けれど戦後になって、持ち主が疎開させて戦火を逃れた雛人形を出したところ、女雛だけが見当たらなかった。仕方なく桃の節句には飾らず時々風をあてるなどして大事にしていた。だがその婦人が高齢で病気がちになり、家族が何とか似つかわしい女雛が見つからないか探しているという。

「同業者がいろいろ捜したんだが、どれもぴったり合う人形が見つからなかった。しまいに私のところに持ち込まれたんだが、所詮無理な話だ」
「そんなに難しいんですか?」
「いや、作られたのは昭和の初期だし、扱った店や職人もわかってる。だがそもそも内裏雛で一対だからどちらか片方だけ欲しいというのほとんどない。似た人形があっても、女雛だけ譲ってはもらえない」
「ああなるほど」
「現在の名人といわれる人形師にも当ってみたが、このお雛様は一対ですから新しい女雛を作っても合わない、と断られた」
「そんなものですか」
「無くなった女雛が見つかるのが一番いいんだが、誰か故意に持ち出したのか、運ぶ途中や疎開先で見失ったかもわからない。しかも戦争前だし、元の屋敷などはとっくに焼けて捜しようもない」
「こんなに綺麗で見事なのにもったいないですね」
「まったくだな。実は夕べ人形だけ出して少し眺めてみたんだが――」
「――何か思いつきました?というか、何かありました?」
クワイ=ガンは雛人形からオビ=ワンに視線を移し、そのまましばし青年の表情を窺うように見つめた。

「……いや、何もわからなかった」
「はあ」
「期待していたのか?」
「そういうわけでは――」
もっともこれまでクワイ=ガンと体験した不思議な出来事を思い起こせば何かありそうな気もする。
「まあ、私も多少は期待というか手がかりでもつかめるかと思った。しかし――」
「しかし?」
「知らないそうだ」
「そうだって、誰が言ったんですかっ!?」
「連れ合いの男雛はじめ、どの人形も女雛の行方は知らないんだ」
オビ=ワンはほっーと息を吐き出した。
「まあ、あなただから何かあるかと思いましたけど。結局わからないんですね」

「ひょっとしたら、君が手伝ってくれたらもう少しわかるかも知れん」
「何だって僕が――あ、あの掛け軸の時は」
「君が女御の依り代になったんだったな」
「けど全然自覚ないです。後で聞かされただけで」
「ダメ元だから、試してみないか」
「試すって――クワイ=ガン!」

「この際だからもっとお膳立てしてからやるつもりだ」
「お膳立て?」
「元通りに御殿も飾ったし、あとはと――さっき君が入ってきた時に花の香りがしたな」
「え、花?」
思わず着ていたパーカーの袖に顔を近づけてみるが、何の匂いも感じない。
「そういえば駅からくる途中に梅が咲いてるのを見たけど、少し先の家で塀越しに。けど通っただけで匂いなんて付くはずないでしょう?」
「ふむ。塀を巡らしてある木造のお宅だな」
「知ってる方ですか?」
「いや、名前も知らない」
クワイ=ガンは再び顎に手を当て何事か思案するように雛飾りを見た。
「すまないが、買い物をしてきてくれないか?」
「はい、何ですか?」
「梅の花を、そうだな」
クワイ=ガンは立ち上がって店に行き、茶色の筒型の壷を抱えて戻ってきた。
「古備前だ。これに入るぐらい頼む」
「わかりました」


 近い花屋を知っていたので、オビ=ワンはたいして時間もかからずに梅の枝の包みを抱えて戻ってきた。
「ありがとう。ああやっぱりこの匂いだ」
「またあそこ通ったけど、それだけで匂いなんてつくはずないでしょう?」
「さあ――」
クワイ=ガンは相変わらず何か考えているような表情で花瓶に花を入れている。
「あそこのお宅は三浦さんという人でした」
「三浦?」
「何か関連あります?まさか人形の持ち主と同じ名とか?」
「いや。さ、こんなもんだろう」
クワイ=ガンは梅を生けた花瓶を雛飾りの前に置いた。

 そうしてクワイ=ガンは開け放していた和室の戸を閉めた。部屋の半分以上を占める雛飾りの前にややきゅうくつそうに肩を並べて二人は座った。狭い和室に急に濃く感じられるほどに梅の香りが立ち込めた。

「オビ=ワン」
「はい?」
「私の手を握ってくれるか、そう軽くでいい。目を閉じて」
「……」
「梅の香りがきついだろう?」
「はい……」
「おそらく、この人形が飾られていた時も梅が咲いていた。まだ人形が引き離されなかった時だ――」
クワイ=ガンの低い声が次第に遠くなっていくような気がした。

 つよい花の香りに混じって潮の香りがする、かすかな波の音、ふと身体を包むような暖かなぬくもりを感じた。背にまわされた大きな手。そっと羽のように唇に触れた柔らかな感触。それがあまりにリアルで、夢ともうつつとも知れない世界を漂っていた意識が甦ってくる。オビ=ワンは閉じた瞼を開けようとした。とその瞬間、眩しい日の光と見下ろす青い入り江、が一瞬意識に浮かんだ。
 開けた瞳に映ったのは、その海のような濃い青色の瞳だった。
「……クワイ=ガン?」
「そうだ」

 二人は向き合うように畳みに座っていた。クワイ=ガンは頭を屈め両手でオビ=ワンの腕をつかんで覗き込んでいる。

「今感じたこと、何でもいいから話してくれ」
ゆっくりと手を離し、クワイ=ガンが低い声で促すよう言う。オビ=ワンは少し下がって姿勢を直し、頷いた。


「波と潮の匂いと入り江か、どこかの海辺だろうな」
「何か関連があるんでしょうか。あ、疎開先は?」
「信州だ。女雛が無くなってすぐに問い合わせたが、見つからなかったそうだ」
「お雛さま一個だけ無くなるってのは変ですね」
「他になんでもいいから気付いたことはなかったか?」
「なんでも――」
思わずオビ=ワンは唇に指をあてた。何かが唇に触れた感触の余韻が微かに感じられるような気がした。触れるだけのキスをしたみたいな――

「オビ=ワン……?」
「あ、えと一瞬だけど、向う岸に赤いものが見えたような」
「どんな形だ?建物か」
「建物じゃなくて、こう赤い棒が横になって、鳥居、かな」
「なるほど。入り江の向うに神社があった」
「けど、実際の場所かどうか」
「――おそらく、人形か人形に関係する者が見た眺めだろう。ただ、今でなく当時の景色だろうな」
「当時っていうと?」
「疎開する昭和20年の春前後、女雛が見当たらなくなった頃だ」
「手がかりには程遠いですね。全然見当が付かない」
「ふむ」
クワイ=ガンは手元の紙に先ほどから思いついたことを書きとめていた。
「潮の匂い、波音、入り江、対岸に神社の鳥居、梅。――梅のあるお宅は三浦さんだったか?」
「そうです。何かありそうですか?」
「わからん。とにかくもう一度、元の持ち主の話をよく聞いたほうがよさそうだ」


「はい、オビ=ワンです。今?大丈夫です」
「先日はありがとう」
「いえ、何のお役にもたてなくて――」
「いやおかげで見つかった」
「え、えぇ!?本当!どこでどうして!?」
「逢って話そうか。雛祭りは済んだが、梅の花を観ながらではどうだ?」


 クワイ=ガンが指定したのは、都心の老舗ホテルだった。レストランから中庭が見下ろせ、手入れの行き届いた庭園の一角の梅林はちょうど見頃だった。平日の昼でもけっこう客が多いが、クワイ=ガンは窓際の席を予約していた。

「後で歩いてみようか?――その顔は、聞きたくてうずうずしてるんだな、オビ=ワン」
「もったいぶらないで下さい」
「わかった。ほら、証拠写真だ」
電話では、見つけた雛人形を見せたら間違いなく無くなった女雛と喜ばれ、そのまま持ち主の婦人のもとへ返したと言っていた。
「本当に見つけたんですね!」

 映っていたのはまさに古風でたおやかなお雛様だった。内裏雛に似た瓜実顔の上品で色白な面、ガラスがはめ込まれた黒い瞳の涼しげな眼差し。朱を掃いた小さな唇からちらとお歯黒をほどこした歯が覗く。色はあせているが玉石をちりばめた豪華な冠。詳細な絵が描かれた檜扇、金襴地の唐衣、裳、表衣、五衣と、いわゆる十二単という幾重にも重ねられた衣を纏っている。クワイ=ガンは丁寧にそれらをオビ=ワンに説明してくれた。

「綺麗ですね――で本題ですが」
「ほら料理が来た。そんなに聞きたいか?」
クワイ=ガンのからかうような口調に、まだ箸をつけない美しく盛り付けられた和風の御膳を見下ろしてオビ=ワンはにっこり笑った。
「じゃ、僕は大人しく話を聞きながら美味しいご飯をいただくことにします」

「持ち主の婦人はほとんど人に逢わないんだが、電話で、大戦の時に身近に海軍関係の人がいなかったかと聞いたら、すぐ逢う約束をしてくれた」

実際に逢って聞いたところ、雛人形の実の持ち主は若くして病死した姉で、当時、海軍士官の婚約者がいたことがわかった。海軍の基地は三浦半島の横須賀にあった。クワイ=ガンは横須賀周辺の入り江に見当をつけて神社を捜し、足を運んで尋ねたところ、高齢の宮司が戦時中に預けられたという人形の事を思い出した。神社の収蔵庫の奥にひっそりと仕舞われていたそれは、まさしく捜していた女雛だった。包んであった家紋入りの風呂敷も決め手になった。


 品のいい老婦人は思い出を辿るように語ってくれた。

「想像するしかありませんけれど、姉が婚約者の無事を祈ってこっそりと女雛を渡したのだと思います。私どもは雛祭りの次の日にすぐ荷造りして疎開することになっていましたから。その方は間もなく戦艦に乗り込んで戦死されましたが、おそらく出港の前、その神社に預けられたのでしょう。知らせを聞いた姉は気力をなくし、間もなくふとした風邪がもとで疎開先で亡くなりました。これだけが心残りでしたけど、これでいつでも姉達の下へいけます」
「いや、やっと再会できたのですから、これから二人揃って毎年飾ってやってください」
「そうですわね。本当によく見つけてくださいました」


 食事を終えた二人は庭園の梅林を歩いていた。
「そうだったんですか……悲しい話ですけど、喜んでいただけて良かったですね」
「君のおかげだ」
「僕はほとんど何も――あれっぽちのイメージから横須賀まで行って捜したのはあなただし。すぐ見つかったんですか?」
「やはり少しかかった。鳥居のある神社はすぐわかったが、尋ねても雛人形の事は何もわからない。よく聞いたら、対岸に対になった同じ名の神社があったんだ。女雛が預けられたのはそっちだった。つまり、君が見たのは対岸の神社の高台からの眺めだったんだな」
「珍しいですね。対になった神社ですか」
「土地の人は女宮、男宮といって、今でも男女はそれぞれのお宮へお参りする。縁結びの神社だが、戦時中は無事を祈るお参りが多かったそうだ。婚約者は男だから男宮へ人形を預けたんだな」
「じゃ僕の見た景色はお雛様が見た景色、ということですか――」
立ち止まったオビ=ワンは眉を寄せ、何とも複雑な顔をしている。

「どうした?」
「僕はれっきとした男なのに、どうして女性の代りというか、依り代になるんだろう?」
「もともと魂や精霊は男女の区別などないんだ」
「そうなんですか!?」
「君の場合は、おそらく私との相性だろうな」
「はあ?」
「男女に関係ある物に関わると、私が男の依り代で君が女の依り代になる」
「そりゃ、クワイ=ガンのほうがずっと年上で身体も大きいけど――」

 その時、風にのって強い梅花の香りがただよって来た。ふいにオビ=ワンはあの時の唇の感触を思い出した。

「男の依り代って――え、あ、じゃ……」
口ごもる青年にクワイ=ガンはさらりと言う。
「婚約者同士だし、海軍士官のほうはともかく、令嬢は初めてだったんじゃないか?」
「初めてって、ファーストキス!?」
クワイ=ガンは目を見開いたオビ=ワンを見て人の悪そうな笑みをうかべた。
「令嬢はな。まさか君がそうではないだろ?」
「違いますよっ!ぼ、僕だってそれくらい」
「だろうな、今時。ちなみに男とはどうだ?」
一瞬黙り込んだオビ=ワンは上目遣いにクワイ=ガンを睨む。

「知りません」
そのまま、くるりと背を向けて足早に歩いていく。
クワイ=ガンは急ぐでもなく金色の髪の背中を追った。



End

クワイ=ガン役得というかどさくさまぎれ?(笑)
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