古美術商   −   −

「週末、蛍狩りに行かないか?」
「え?」
「いや、都内なんだが――」
クワイ=ガンが電話で告げた場所は、学生のオビ=ワンでも名前を知っている有名な高級料亭だった。
「仕事の付き合いで行かねばならんが、むさ苦しいおっさん一人では格好がつかないんだ」
クワイ=ガンがそんな事を言ったのでオビ=ワンはちょっと可笑しくなった。年齢不詳というか確かに若者という歳ではないが、飛びぬけた長身でひきしまった体躯。初対面は渋い和服、その後も三つ揃いスーツとか、カジュアルなブレザーとジーンズとか、そのどれも実にさりげなく、クワイ=ガンはとびきりダンディに見える。

「はあ、空いてますけど、蛍を見に行くんですか?」
「ああ、夕飯付だ。食後暗くなれば庭で蛍が見られる寸法だ」
「そんな場所で珍しいですね。僕でよければお供します」
「助かった。浴衣はこちらで用意する」
「浴衣って、あの着替えるんですか?」
「手ぶらできてくればいい、じゃ」


 古美術商「時代堂」の主人・クワイ=ガンと、オビ=ワンが知り合って数ヶ月、不思議な交遊というか関係が続いている。オビ=ワンが親戚の形見分けで相続した焼物の鑑定を依頼したのがきっかけだった。

 クワイ=ガンは、人にはいわないが不思議な能力があり、物の想いを感じ取れると言う。「鳳凰」という銘の壷はオビ=ワンを新たな持ち主に選んだというのだ。

 思いがけない逸品で高価だったその壷は、クワイ=ガンの好意でそれから店の保管庫に預け、オビ=ワンはときどき訪ねるようにしていた。といっても壷とオビ=ワンが会話できるわけではないので、クワイ=ガンに骨董収集の手引きを受けたり世間話をしたり、ご飯をごちそうになったりしている。


 元は大名屋敷、明治以降は華族の屋敷だったという都心の料亭は広大な庭園があった。
夕方オビ=ワンが受付で名を告げると早速着付け室に通され、慣れた係りの手であっという間に浴衣を着せられた。
「男性の方になんですけど、色白の肌に本当によくお似合いです」
着付け係りの女性は、少しさがってオビ=ワンの浴衣姿をほれぼれと眺めながら言う。
「……ありがとうございます。あの、この浴衣は済んだらここへ返しにくればいいんですか?」
「いえ、持込みでございますから、そのままお帰りいただいてもよろしいですけど、お着替えなさるならこの部屋をお使いください。お荷物はそこのロッカーに――」
え、とオビ=ワンはびっくりして着せられた水色の浴衣を見直した。

 実家に母親が用意してくれた浴衣があるが、あの木綿と比べるとあきらかに品が違う。サイズからしてクワイ=ガンのものでなさそうだし、どうも新品らしい。このまま帰っていいってことは、着物以外の履物や肌着も全部自分のために用意してくれたのか。
「あ、これもお預かりしております。どうぞお持ちください」

 渡されたのは小ぶりで美しい工芸品のような籠。細く裂いた竹ひごで組まれた涼しげな虫篭で、長い房の付いた組み紐が上部に付き、下げられるようになっていた。

 案内にそって狩りの催しがある方へ行くと、池を囲んだ見事な庭園が見えてきた。夕暮れの少し前だが、これから食事と聞いたように人影がみえる。和服姿の人もいれば、普通の洋服姿の人もいる。オビ=ワンは立ち止まって目でクワイ=ガンを探す。人込みの中でも、まず探すのに苦労することはないし、今日もすぐ人目につく姿を見つけた。
けれど、紺地の着流しに薄い鼠色の羽織姿、長髪を後ろで結ったクワイ=ガンの隣りにはやはり薄紫色の和服を着こなした若い女性がいた。

 二人は顔を近づけて何事か親しそうに話しているように見え、声をかけていいものかどうかオビ=ワンは立ち止まってためらう。と、クワイ=ガンがこちらを向いた。

 軽く片手をあげて笑顔を見せる。オビ=ワンはホッとして虫籠を下げ、近づいていった。
「よく来てくれた」
「こちらはオビ=ワン、大学生です。こちらのお嬢さんは――」
オビ=ワンより年上らしい和服の良く合う佳人は優雅に会釈した。

「蛍狩りに誘っておきながら籠を忘れて、店まで取りにいってもらいました」
女性が、あら、と驚いた表情になった。オビ=ワンもまた驚いたが、クワイ=ガンに合わせて顔に出さないよう努める。
「私と違って若者には蛍も珍しいだろうと誘いました。もっともここの食事のほうが目当てかもしれないが」
「そうですね。まず食い気がさきです」
「ではそろそろ行こうか?あの建物だ」
女性は少し固い表情で、では私はこれで、とクワイ=ガンを仰ぎ見る。
それに応えるように、クワイ=ガンはやけに丁寧に、頭をさげて礼をした。


 女性が背を向けて行ってしまうと、クワイ=ガンはオビ=ワンの腕に手を添えて向きを変えた。
「夕食はこっちだ。個室じゃないが、椅子テーブルだから足は楽だ」
「――お邪魔じゃなかったですか?」
「うん?」
「さっきの方」
「いや、予定通り、実にいいタイミングで君が来てくれた」
「え?」
「後で話す。ついでに話を合わせてくれて礼を言う」
話しながらクワイ=ガンは長い足でさっさと歩き、大きなガラス窓がとられた和風レストランの前で歩みをゆるめた。

「思ったとおり、いや、想像以上だな。その色がよく似合う」
上から下まで見つめられ、オビ=ワンは多いに照れる。
「ありがとうございます、わざわざ用意してくださって」
「蛍狩りに誘ったのは私だから、そのほうが良いと思っただけだ。気にしないでくれ」
「――はい。あの、あなたもすごく格好いいです。それは浴衣じゃないですよね、夏用の着物ですか?」
「そう、夏用の大島紬に羽織は絽だ」
深みのある紺地に、近くでみると細かい縦の白い絣糸がすっと溶け入るように織られた凝った生地が、重ねた薄鼠色の絽の羽織から透けて見え、なんとも品がいい。クワイ=ガンが見立てたオビ=ワンの浴衣は、空色よりやや濃い花浅黄色の小千谷縮。シャリ感のある麻が涼しげで、オビ=ワンの瞳の澄んだ青色がよく映える。長身で長髪に髭、紺地の着流しに灰色の羽織姿のクワイ=ガンと、すらりとした金褐色の髪に、水色の浴衣の青年の二人連れはいやでも人目を引く。二人が建物に入り、店員の案内で席へ向かう途中、客達の目がいっせいに注がれた。


 涼しげに盛り付けられたコース料理をおいしくいただきながら、オビ=ワンは聞いた。
「特別納涼プラン・夏の御膳と蛍狩りの夕べ、っていう企画なんですか?」
店には和服姿や普通の洋服、仕事帰りらしい人々もおおぜいいた。
「ああ、今日は週末だから昼は茶席もあった。私はその道具揃えを依頼されたんだ」
「先ほどのきれいな方はお知り合いですか?」
「初対面だ。茶席で知り合いに紹介された。興味があるなら紹介しようか?」
「いえ、そんなわけでなく――」
その時、クワイ=ガンの視界に何かはいったらしく、片眉がぴくりと上がった。オビ=ワンも向いのクワイ=ガンの視線の先を目で追う。と、明るい藤色の紬にこげ茶色の細かい格子を織り上げた羽織を着た、褐色の肌の大柄な男が近づいてきた。

「すまんな、邪魔だったか、クワイ=ガン」
「その通りだ、メイス」
ぞんざいな物言いだが、刺があるわけではない。多分遠慮のない仲なのだろうとオビ=ワンは思った。
「同業者のメイスだ。こちらはオビ=ワン、大学生だ」
「初めまして」
「こちらこそ。何とも後ろ姿が素晴らしい人と連れ立っているから、失礼と思いながら顔を拝みにきた」
「はぁ――」
「連れが誰だか確かめに来たんだろう、メイス。期待に添えんですまんな。あれほどの美人なら私がその気になると思ったか?」
「ひょっとしたら、だ。さっそく振られたか?」
「挨拶しただけだ。私はオビ=ワンと約束してたんだ」
「わかった。では、蛍狩りを楽しんでくれ。邪魔したな」
「さっさと消えろ」
メイスは苦笑し、オビ=ワンにごゆっくりと言って去って行った。

「いい友達みたいですね。長いお付き合いですか?」
「腐れ縁だ。私が一人でいるのが目障りらしく、見合いを企んだ」
「さっきの方とですか?」
クワイ=ガンが肯く。
「絶対茶席に出ろとしつこく念をおしてきたから、さてはと思って君にきてもらった」
「……」
「結婚願望はないし、ちゃんと遊び相手くらいいる」
オビ=ワンは箸を持った手を止め、長い睫毛を瞬いた。
「失礼、何となく気の合う歳の離れた友人と言い直そう」
「年の離れた、は入れなくてもいいですよ。あ、気前のいい、って置き換えましょう」
「ありがとう、オビ=ワン」


 食事を終えて外へでると、薄闇が迫っていた。次第に池のほうへ向かう姿が増えてくる。
が、クワイ=ガンの足は違う方向へ進んでいく。人が集まっていく池の反対側に建つ、昼間茶会があったという茶室の前に来た。
籠を持ったオビ=ワンを待たせ、直ぐ戻ると行ったクワイ=ガンは、確かに10分ほどで戻ってきた。
「ここに用があるんだ。すまんが少し付き合ってくれ。籠は持ったままで」
オビ=ワンは言われたとおり、入り口の鍵を開けて中に入るクワイ=ガンの後に続いた。
戸を閉めた室内はすっかり暗くなっていたが、クワイ=ガンは明かりをつけず、雪駄を上がり口に脱いで入った。同じようして付いてくるオビ=ワンを振り返る。
「いかにも怪しい行動だな。こっそりと忍び込む」
「そうですね」
「金目のものは茶道具だが、私の収めたものだから自分で盗んでも儲けにならん」
「だってちゃんと鍵を開けて入ったし、今時こんな格好の泥棒なんていないでしょう」
確かに、ぞろりとした羽織着流し、浴衣を来た泥棒など動きにくいし、目立ちすぎる。

「籠は持っているな?」
「はい」
「開けたら直ぐ入ってくれ。私が閉める」
襖に手を掛けたクワイ=ガンがさぁ、と促す。オビ=ワンは茶室に入った。
すばやくクワイ=ガンが戸を閉め、二人は締め切った薄暗い和室に立っていた。むっとする湿った暖かい空気と静寂が辺りを取り巻いている。

 オビ=ワンは音を立ててはいけないと思い、囁いた。
『クワイ=ガン……?』
「あそこだ」
「え?」
クワイ=ガンが顔を向けた方にオビ=ワンも視線を移す。
宙に、微かにまたたく白い光りが緩やかに漂っている。
「ほた、る?」
「ああ」
この締め切った部屋でいったいどこから来たのか。
「――来るのが遅かったな。暗くなる前に籠を持って来ればよかった」
クワイ=ガンが呟く。

 すると、またひとつ、下方から浮かび上がるように淡く瞬きながらふわりと光りが現れた。
「何処から……?」
「あそこだ」
「え?」
クワイ=ガンが指したのは、床の間だった。


 見ると、確かにそこには何匹かの蛍が集まっており、瞬きを繰り返しながら、光りを放っていた。
「茶入れから抜け出したんだ」
「!?」
信じられない言葉に、思わずオビ=ワンは床の間に身を乗り出し、気をつけながら蛍の集まりを覗き込んだ。
目の前をまたひとつ、すうっと光りが宙に漂っていく。信じられないが、クワイ=ガンのいうとおり黒い塗りの茶入れから出てきたように見える。

「いつも抜け出る訳じゃないんだが、今日は本物の蛍が近くにいるから誘われたんだろう」
「この蛍は、どうなるんです?」
「外に放したら飛んでいってしまうだろうな」
「はぁ……」

「念の為見に来てよかった。オビ=ワン籠を」
「はい」
「蛍を捕まえたことはあるか?」
「いえ、見たことはありますけど。どうやったらいいですか」
「ふむ、一匹ずつ捕まえるのは効率が悪いな」

 どうするつもりかと瞳で問うオビ=ワンに見上げられ、クワイ=ガンは承知したしるしに肯いた。そうして、床の間の脇の襖に手を掛け、僅かの隙間から身体を滑りこませ、音も無く戸を閉めた。隣りで少し物音がしたが、すぐに戸を開け、クワイ=ガンがこんどは手に何か持って戻り、やはり素早く戸を閉めた。

「この部屋から出た蛍はいないか?」
「はい」
では、と畳に膝を付いたクワイ=ガンは持ってきた木箱を開け、布に包まれた品を取り出す。
現れたのは、ふっくらと丸みを帯びた夜目にも白く輝く白磁の壷だった。
「江戸時代の古伊万里だ。『鳳凰』には及びもつかないが、なかなか良い物だ」
そう言って、クワイ=ガンはその白い壷を部屋の中ほどの畳の上にそっと置いた。

 しばし見守っていると、次第に宙を舞っていた蛍達が壷に集まりはじめた。
「あ……」
「『白露』という壷だ。蛍が露を求めてやってくる」
「この壷もあなたが前もって用意しておいたんですか?」
「ああ――どうも、うちの物達は勝手な事ばかりして困るから用心に」
その口調がおかしくて、オビ=ワンは小さく笑った。
「何だ?」
「なんだか、家族かペットがいたずらしたみたいですね」
暗がりでもクワイ=ガンが苦笑いするのがわかる。

「さて、今のうちに籠に入れてしまおう」
クワイ=ガンは壷の脇に虫篭を置き、扉を開けた。帯にはさんでいた扇子を取り出し、畳んだままそうっと一匹の蛍に近づける。すうっと滑るように光りが扇子の先に灯った。

『棗(なつめ)、――茶入れを持ってきてくれないか』
オビ=ワンは息を殺して言われるままに床の間から品を持ってきた。
『籠の中に入れてくれ』
オビ=ワンが言われたとおりにすると、クワイ=ガンは、扇子に留まった蛍を静かに虫籠の中の茶入れに移す。

 一匹ずつ、クワイ=ガンは器用に蛍を籠に入れていった。
一度、やってみるかとオビ=ワンに扇子を渡した。
オビ=ワンが同じようにしたつもりでも、蛍は籠に入る前に留まった扇子から離れ宙に浮かび上がった。
「おっと!」
クワイ=ガンが手を伸ばし、両手を膨らませて合わせ、中に蛍を閉じ込めた。
「ほら、大丈夫だ」
クワイ=ガンの大きな手の中で小さな光りがせわしなく瞬いている。
覗き込んだオビ=ワンが安堵の息を小さく漏らす。と、すぐ近く、額にふれそうなところでクワイ=ガンの吐息を感じ、急に鼓動が速くなったような気がする。

「……すみません」
「いや、籠に入れよう」
クワイ=ガンがかすれた声で応えた。


 最後の一匹を無事移し終え、しっかりと虫篭の戸を閉め、床の間に戻した。蛍は今も瞬いている。
「これ、どうなるんですか?」
「しばらくこのままだが、朝には棗の絵に戻る」
クワイ=ガンは事も無げに言う。
「あなたが言うと、当り前みたいに聞こえますね」
「おかしいか?」
「いえ、ただ不思議だなと思うだけです」
「元の位置とは少し違うかもしれんが、気のせいと思うだろう。が、茶会の後は間違いなく籠に入れるよう念をおしておこう」
「風流な話ですね」
「皆君みたいに思ってくれたらいいが、そうもいかん」
白磁の壷を箱に入れ、クワイ=ガンそれを元のように隣りの水屋に置いて戻ってきた。
「手間をとらせた。今度こそ本当に蛍狩りに行こう」


 池のほとりで優雅に舞う蛍は美しかった。狩りとはいっても、客は遠巻きに眺めて楽しむだけで、採るのは無論、触ることも出来なかった。それでも都会の真ん中で蛍を見るだけで充分風雅な気分を味わえる。

「僕は実際に狩らせてもらいました。へただったけど」
観客に混じって蛍を眺めながらオビ=ワンが囁くと、クワイ=ガンは愉快そうに口元を綻ばせた。


 蛍狩りの後、オビ=ワンは浴衣のまま着替えを持ち、タクシーでクワイ=ガンのマンションまできた。
「本当にいいんですか?」
「ああ、明日いきつけの店の物が取りに着て手入れしてくれるから脱ぎっぱなしでいい」
マンションの広いリビングの隣りの畳敷きの部屋にオビ=ワンは通された。
クワイ=ガンは羽織だけ脱いで衣紋掛けに通し、青年に気を使ってかリビングに行ってしまった。オビ=ワンは服に着替え、浴衣は置いてあった衣紋掛けに吊るし、襦袢などはざっと畳んでからリビングに出た。

「わざわざ浴衣を用意してくださってありがとうございました」
「最近は若者もけっこう浴衣を着るんだろう?」
クワイ=ガンは飲み物をテーブルにおいてすすめた。
「女の子は祭りとか花火大会でよく着るみたいですね」
「――の花火大会は知り合いの家から良く見える。毎年誘われるんだが、君もどうだ?若い者も沢山来るし、よければ友人も誘ってくれ」
「去年はもみくちゃになって見ました。本当にいいんですか?」
「勿論」
「ありがとうございます!」
声を弾ませて礼を言った後、オビ=ワンはちょっと考える。

 クワイ=ガンの事は親しい友人に話したことはある。けれど不思議な体験をしたことは無論内緒にしている。今晩もだが、一般の人が信じないことをあまり抵抗なく受け入れてしまう自分に少し戸惑う。クワイ=ガンに言われると、茶入れの蛍が飛び出すこともトリックだなどと疑わず納得できるのだ。クワイ=ガンの側にいると――。

「オビ=ワン」
「あ、はいっ!」
「花火の時、又浴衣を着てくれるとうれしいが」
「えと、帯結びが難しいですけど、練習すれば着られます」
「手伝おう」
「すみません」
「――着せるよりは、脱がせるほうがいいんだが」
「は?」
「冗談だ」
目を見開いて見返した青年に向かい、クワイ=ガンは少し目を細め笑った。
我知らず頬が染まるのをオビ=ワンは感じていた。



End

 ほんと怪しいおっさんですね、このクワイさん(笑) オビとメイスにも和服を着せてみました。和服の知識乏しい上にイメージ貧困なのでどうでしょう。クワイさんは紺に灰色、オビは水色、メイスは薄紫(笑)に茶。格好よく涼しげに着こなして欲しいです。
戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送