― 古美術商 ―

 都心の一角、頭をめぐらせば先ごろの再開発で出現した高層建築が目に入る。が、表通りから少し入ると、エアポケットのような通りが現れる。隠れ家のような料理屋や、ウィンドーに三味線が飾ってある店、そして「時代堂」と縦看板が掛かっただけの建物。

「――ここだ」
昼下がり、手にバッグをさげた青年が店の前に立った。
古風な格子戸から中はうかがい知れない。青年は戸に手を掛けた。
「ごめんください」
中は狭いが、案外明るく、両側にガラスケースと棚が並び、置かれている茶碗や皿、漆器、香炉などで、ここが今風にいえば古美術商、いわゆる骨董屋ということがわかる。

 と、奥から暖簾を上げ、一人の和服羽織姿の男が現れた。その上背の高さに青年は思わず目を見張る。とてつもなく背が高い。年の頃は、老人ではないが、若くはない。長髪を後ろに流して、結わえ、短い髭を口の回りと顎に蓄えている。高い鼻梁の奥の双眸は深い青だった。

「――ここのご主人ですか?」
男は肯き、黙って青年を見る。
シャツとジーンズの青年は中肉中背ですらりとした身体つき。短い金褐色の髪に秀でた額、何より特徴は青とも緑ともいえる不思議な色の大きな瞳だった。

「教授の紹介で、鑑定をお願いしたオビ=ワン・ケノビと言います」
オビ=ワンは手に持ったかばんを掲げた。
「李朝の白磁ということだが」
「教授もこれを見て良いものだといわれたんですが、専門家に見ていただいたほうが確かだからと、ここを紹介してくださったんです」
「では、奥へ」
店の主人は手ざしで青年を案内した。


 六畳ほどの和室にはこれも古そうな棚や箪笥があり、上には木箱が整然と並んでいた。店の主人は名刺を差し出した。
「――クワイ=ガン・ジンさんとおっしゃるんですか?」
「さんはつけなくてもいい」
そう言って、オビ=ワンにお茶を出してくれた。
小ぶりのきれいな植物模様の茶碗に淹れられた濃緑のお茶は芳しい香りがし、口に含むととろりとほろ苦い味がした。
「――苦いけど、おいしいですね」
思わず呟くと、玉露だ、とクワイ=ガンは口の端で微かに笑んだ。

 では、と言ってクワイ=ガンは二人の間に置かれた風呂敷包みに手を伸ばす。
「君は遺産相続でこれを譲られたそうだね」
「遠縁の人で、僕が3つぐらいの時両親に連れられて逢ったそうですけど、覚えてないんです。弁護士さんから連絡がきて、遺言で僕に贈られたと聞いて本当に驚きました」
「親戚一同に形見分けしたわけか?」
「家族以外で名指しで贈られたのは僕だけだって弁護士さんも不思議がっていました。――その御宅は由緒ある家で、父は本家っていいますが、本家は良い物がたくさんあるので、一個ぐらい僕にあげてもと誰も反対しなかったそうです」

 話しつつ、クワイ=ガンは風呂敷をざっと畳んで脇へ置き、掛け紐の掛かった桐の箱に両手をかけ、ゆっくりと一回りさせた。それから、おもむろに上で結んである紐を解く。木蓋の裏を見た後、布に包まれた品を慎重に取り出し、ゆっくりと布をはずすと、中から白い器が姿を現した。

 クワイ=ガンが紐に手を掛けた瞬間から周りの空気は一変した。正座した姿勢はゆるぎもせず、品物に触れる長い指の大きな手も、全く無駄な動きがない。何よりも射る様な眼差しはその道のプロだと思い知らされる。

 高さは一尺弱、口と裾がしぼんだ、いわゆる壷型のその器は柔らかいふくらみを持ち、僅かに青緑がかった白磁だった。

クワイ=ガンは背を引いて壷全体を眺めた後、ふところから白い手袋を取り出した。
手袋をした手で、こんどはぐっと前屈みになり、肘を畳に付かんばかりにして壷を両手で掴み、口、底の裏、壷の中、と何ものをも見逃すまいとするように見続ける。

オビ=ワンはその気迫におされ、息を飲むように壷よりもクワイ=ガンを見ていた。


やがて、クワイ=ガンは手を離し、下がって居住まいを正し、手袋を外した。

「――美しい。間違いなく李朝白磁の名品だ」
オビ=ワンもホッと息を尽いた。
「僕もそう思います。価値は全然わからないですけど」
「本家は佐賀か広島あたりか?それとも前は佐賀にいて広島に移ってきたとか」
「その通りです!どうしてわかるんですか!?」
オビ=ワンは目を見開いてクワイ=ガンを見つめた。
「これほどの品を所蔵する家は限られている。君がその家の末裔なら出自も間違いない」
「すごい……」
「君はこれをどうするつもりだ?」
「――考えてないんです。きれいだから家で飾ってもいいんですけど、あまり高価だったら困るし、本家は好きに処分して構わないと言ってくれたそうです」
「そうだな、オークションに出したら300万から始めて、倍はかたいだろうな」
「は?」
オビ=ワンは今度こそ口をあんぐりと開けた。

「どうしよう、やっぱり返したほうがいいでしょうか?」
クワイ=ガンは苦笑した。
「それは君が決めることだ」
「だって、受取る理由がないです」
「少なくともその血筋をひいてるから名指しで贈られたんだろう」
「それはそうなんですが……」
「売るつもりなら、責任を持って預かろう。手数料を引いても先ほどの額ぐらいは君に渡せる」
「今は決められません」
「そうだろうな。家族とも相談したほうがいい」
「――はい。あの失礼ですけど、鑑定の謝礼っていかほどですか?」
「いらんよ。私も良い物を見せてもらった。気をつけて帰りたまえ、タクシーでも呼ぼうか?」
はい、とオビ=ワンは反射的に答えたあと、再びクワイ=ガンを上目遣いに見上げた。
「――あの、僕は今大学の寮にいるんです。で、明日からゼミの合宿で留守にするんです」
「おやおや」
「今までは何とも思わないで押入れに入れておいたんですけど、怖くなりました。ここで預かっていただくわけにいきませんか?」
「――そうだな」
「保管料はお支払いします」
「まあ、私が使っている銀行の貸し金庫にこれが入るくらいの余裕はある」
「お手数ですけど、お願いします」
「わかった。では預り証を書こう」
「ありがとうございます!」
「茶を煎れてくる。咽が渇いただろう?」
「はい」
ホッとしたようにオビ=ワンの頬が緩んだ。


 クワイ=ガンが運んできたのは紅茶だった。
外国製の品のいいカップに注がれた香り高い茶を口に含んだオビ=ワンは、意外な面持ちで濃紺の着物を端然と着こなしたクワイ=ガンを見る。

「緑茶も好きだが、くつろぐ時は紅茶にしている」
「和服だし、緑茶しか飲まないと思いました」
「ああ、これはこの後、同業者の集まりがあるんだ。私など仲間内では若造だから格好だけでもそれらしくしてみた」
「いつも着てるわけじゃないんですか?」
「もちろん。君はわたしを幾つと思ったんだ」
そういわれて、オビ=ワンは向かい合ったクワイ=ガンを見上げる。
若くはない、年寄りでもない。だが、この店の主人は年齢など意識させない不思議な雰囲気があった。

「よく、わかりません」
クワイ=ガンはちょっと口元を緩めた。
「ところで、君はこの壷が好きか?」
「はい。初めて見たとき、綺麗というよりは懐かしいような温か味を感じました」
「いわゆる骨董好きは、品に一目惚れすることがある。金額はともかくどうしても自分のものにしたい、という気になる」
「普通の一目惚れと同じですね」
「そうだな、反対に品のほうからこの人に所有して欲しいと想われることもある」
「え?」
「わかり易くいえば、縁があるというのか、他人に買われてもいつの間にか、戻ってくる。品物が望み、人も気に入ればその後は所有者が変ることはない」
「恋愛関係みたいですね」
「そうだな。君がこの壷を好きなら、よほど困らない限り、手離さないほうがいいと思う」
「はあ……」
オビ=ワンは思案気に肯いたが、ふいに、大きな瞳に悪戯っぽい輝きが宿った。
「でも、あなたの仕事は物の売買なんでしょう、クワイ=ガン?」
「そうだな、おかげで儲からない商売ばかりしている」
苦笑に近い笑みを漏らしたクワイ=ガンに誘われるように、オビ=ワンも最初の緊張がとけ、屈託のない笑顔を向けた。



 オビ=ワンが再び「時代堂」を訪ねたのは1週間後の夕暮れだった。
クワイ=ガンから連絡が来て、時刻を指定してきたのだ。出迎えた店の主人は先日と違ってブルーのシャツに茶のブレザー、黒のズボンの脚はオビ=ワンの目にやはりとてつもなく長く見えた。
「先日はありがとうございました」
「こちらこそ。こんな時間にすまない」
「いえ、授業の後のほうが都合が良いですから」


 クワイ=ガンはオビ=ワンを前と同じ和室に通し、玉露を煎れた。
オビ=ワンが棚の前に置かれた件の壷の箱を見つめると、クワイ=ガンは言った。
「先ほど、貸し金庫から出してきた」
「両親と話したら、当分自宅近くの銀行の貸し金庫でも借りようかと――」
「それは好きにしてくれ。すまんが、今日は別の用で来てもらった」
「別の用?」
クワイ=ガンは肯いて、箱を引き寄せ、前と同じように慎重に箱の中の品を取り出した。
オビ=ワンの前に白い肌を持つ壷が現れた。

「あの後、私なりにこの壷について調べてみた。銘が『鳳凰』というのも不思議だったし」
「僕もそう思いました。どこにもそれらしい点はないし。父が言うには、本家の先祖の紋は鳳凰で、広島に移った時今の家紋に変えたと伝わっているので、そのせいかと」
「なるほど、私は文献を調べてみたんだが、おもしろい伝説があった。普段は無地の白磁が、ふさわしい者が持つと、それが姿を現すとあった」


「どういう意味ですか?」
「わからん、が、この前君がこの壷を預けていったあと時間がなかったので、一晩うちの金庫に入れて置いたんだが――」
「何かあったんですか?」

 クワイ=ガンは少し眉尻を下げ、オビ=ワンを見た。
「……私はその、こんな生業のせいか、物の気持ちがわかる事がある。気味悪がられるから、もちろん、人に話したりしない」
「……?」
「が、今回は仕方ない。つまり、この壷が君に逢いたいと言うんだ」
「はぁ?」
「永い事待って、漸く君に逢えた。ところが肝心の君は所有するか迷っている。君なら『鳳凰』のしるしを見せられる、と言うんだ」
「どういうことでしょう?」
「おそらく、壷に何か変化が現れるんだろう」
「僕はどうすればいいんですか?」
「口で言うよりは実行したほうが早いだろう。――つまり、私が協力して壷と話する」
いよいよ不思議というか不審な眼差しのオビ=ワンに、クワイ=ガンは苦笑する。
「わたしが媒体になる。そうだな、手でも繋げばわかりやすいだろう。いいかな」
「はい……?」
理解できないまま、オビ=ワンが肯くと、クワイ=ガンは部屋の明かりをすべて消した。暗闇の中、器の白い輪郭がおぼろに浮かび上がる。

「オビ=ワン、左手を」
いつしかクワイ=ガンはオビ=ワンの斜め後ろに座っていた。
差し出された左手をクワイ=ガンは両手で包みこんだ。暖かく大きな手から脈打つ鼓動を感じ、オビ=ワンの胸が我知らずドキンと鳴る。

「目を開けたまま、壷に向って姿を見たいと念じてくれ」
低く囁く声が、オビ=ワンの頭の背後から降りてきた。
ごくりと唾を飲み込み、オビ=ワンは言われたように念じた。
『鳳凰がいるのなら、どうか姿をみせてください』


 クワイ=ガンに手を握られ、オビ=ワンが念じてから数秒、夜目に白く浮かんでいた壷の輪郭がはっきりしてきた、と思ったら、次第に変化がわかるほど、青白く輝きだした。
「クワ、イ=ガン……?」
「大丈夫だ、怖い感じはしないだろう?」
「はい」


 青白い輝きは壷全体を炎のように包み、炎の先が高く上がったと思うと黄色からオレンジ、朱へと変化し、中央、ちょうど壷の真上に小さな影が現れた。それが序々に形を取り、鳥の姿だと思った時には、まぎれもなく伝説の霊獣が姿を現した。眩い白金の羽毛、翼や尾羽は七色に輝き、流れるような動きにつれ虹のように七色に煌く。
「鳳凰……」
「ああ」


 ふわり、と鳳凰の身体が宙に舞う。ゆるく羽ばたきするだけで、七色の光ばかりか、輝く金粉があたりに巻き散らばされる。

「……綺麗ですね」
「見事なもんだ」
 呟きが聞こえたのか、鳳凰は黒と金が混じった神秘的な目で二人を見た。生身の鳥でないことはわかる。が、伝説上の鳳凰が紛れもなく、上を向いて大きく羽を広げ、壷の上に止まった。その時、鳳凰がひときわ眩しく光り輝いた――。
「うわっ!」
「オビ=ワン!」


 気付くと、鳳凰も壷を取り巻いていた炎も消えていた。暗闇に壷の輪郭だけが目に入る。
さっき、光からとっさに顔をそむけたオビ=ワンは、ちょうどクワイ=ガンの襟元に顔を埋め、胸に抱き込まれたような姿勢になっていた。
「――あ、すみません」
オビ=ワンがあわてて顔を起こす。と、かばうように青年の背を抱いていたクワイ=ガンは静かに手を離し、その唇はそっと金褐色の髪をかすめ、やさしく言った。
「いや、大丈夫か?」
「はい」
「――明りを点けよう」


 明るくなると、先ほどと変らない部屋のたたずまい。
「……夢じゃないですよね」
「そうだ。二人とも確かに鳳凰を見た」
オビ=ワンは壷に目をやった。
「……クワイ=ガン、あれは?」
「何だ?」


 二人が顔を近づけて白滋の壷を見ると、ちょうど壷のふくらみのあたりに、雲が浮かんだような、斑紋やシミにしては大きな淡いばら色の形が浮かび出ていた。
「さっきまで何もなかったですよね?」
「――これは、鳳凰の形だ!」
「あ――」
オビ=ワンは目を大きく見開いてその形を見つめた。
確かに、それは鳳凰が横を向いて羽を広げたシルエット。

「本来の持ち主が現れたので、鳳凰がしるしを残したんだろう」
「でもこんなことって……」
呆然と見つめるオビ=ワンの耳に低い声が入ってきた。
「信じられない、か。無理もない。だが私はどういうわけかこういった理屈では説明できない事に何度か出遭ってる」
「クワイ=ガンが?」
「気味が悪いかね?」
思わずオビ=ワンは顔を上げた。見上げたクワイ=ガンは感情の伺えない、深い青い瞳でこちらをを見ている。オビ=ワンの知らない、きっとさまざまな事を見てきた不思議な眼差し。オビ=ワンは目を合わせ、言った。
「いえ、あなたなら有りそうですね」
クワイ=ガンはちょっと微妙な顔をした。


「ところで、この壷はどうするつもりだ?」
「元と違ったから他の人には渡せないでしょうね」
「――元はともかく、これだけはっきり鳳凰の模様があるんだ。好事家にとってはいくら金を積んでも欲しい品だな」
「そういうもんですか?でも、手離す気はありません」
「それがいい」
クワイ=ガンは大事そうに壷を布で包み、丁寧に箱にしまった。
「――よければ、私が当分預かってもいい。もちろん保管料はいらない」
「でも……」
「銀行の金庫も利用するが、店の地下に保管庫兼金庫がある。並の貴金属店より厳重だ。君の実家近くの貸し金庫に入れたら、そのまま預けっぱなしにならないか?」
「多分」
「それよりは、君がときどき店にきて眺めてくれたほうが、鳳凰も喜ぶ」
「まるで壷が人みたいに言うんですね」
「長く時をへて伝えられた品は、心が宿る。まして良い物は思いがけない霊力がある」
不思議な体験をしたばかりのオビ=ワンは肯いた。
「お言葉に甘えさせていただきます」
「『鳳凰』が騒いだら、連絡しよう」
「――あの、連絡がなくても、お邪魔して構いませんか?」

 オビ=ワンの申し出が思いがけなかったのか、クワイ=ガンは僅かに目を見張り、口許を緩めた。
「もちろん、構わない。だが、外出が多いから、せっかく来ても留守では申し訳ない。事前に電話してくれ」
「わかりました」
「さて、だいぶ時間もたったな。腹が減っただろう?」
「そういえば――、急にすいてきました」
「大事な物をしまったら、食べに行こう。長時間つき合わせたお礼に何でもご馳走する」
「僕のほうがかえって面倒を――」
「若いうちは遠慮なんかするもんじゃない」
「じゃあ、ご馳走になります。こう見えても大食いなんです」
「それは楽しみだな」
「あとで後悔しても遅いですよ」
「そのうち家で鍋でもするか?外食よりは好きなだけ食べられるだろう」
「家って、店に住んでるんですか?」
「裏口から徒歩一分のマンションに住んでる」
そういえば、店の背後に高級そうな白いマンションがそびえていたのをオビ=ワンは思い出した。

「酒は飲めるか?」
「あ、はい。20歳過ぎました。お付き合い程度ですけど」
「では、付き合ってくれ」
はい、と答えた後、オビ=ワンはふと、言われた言葉の意味を考えてみる。
『ご飯と、酒を付き合うていう意味だよね……』

 ドギマギして思わず頬を抑えた青年に笑みを見せ、クワイ=ガンは壷の包みを手に、立ち上がった。
「さあ、行こう」



End

 古道具屋のオヤジ、今風にいえば、渋オヤジ系の某センセイのような古美術商兼鑑定士、といったところ。リビングフォースを使って、物と対話してるような気がします。ジェダイじゃないんですけどね。
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