The Cat and I   芸術家 「夜のジェダイ」百谷桜樣の素敵絵付きです!
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 私の名前はクワイ=ガン・ジン、アイルランド系米国人だが、上京してから長年、ニューヨークのここソーホーに住んでいる。何で生計を立てているかというと、絵画、彫刻、版画などいろいろ手がけている。クリエイター、きどっていえば芸術家というところか。肩書きなどはたいして意味がない。私は自分の創作意欲が湧くままに作品を創るのであり、そのときどきによって絵画であったり彫刻であったりする。頼まれて舞台美術を担当することもある。

 そしてどうやら作品が評価され知名度が上がるに連れ、私は肩書きのいらない、ただのクワイ=ガンという名前ですむようになった。それなりに収入も増え、生活に困ることはない。もっと快適で新しい住いを構えることも可能だが、この住み慣れた古くて広い住居兼アトリエのアパートメントを離れるつもりはない。

 一人暮らしに慣れているので、特に寂しいとも不便とも感じない。いや、いまは一人暮らしといえるかどうか微妙なところだ。同居人というか居候がいるのだ。それは半年前の真冬のこと、アパートの入口の階段で寒そうに丸まった黒い小猫を見つけた。

 多分寒さと飢えで動けないのだろう。しゃがんで手を差し伸べると、小猫は目を開き私を見上げた。青と緑の混じった不思議な色の瞳をしていた。が、眼つきは鋭く、腹が減っても簡単に人には慣れない野良猫特有の態度をとった。頭をかがめ、前足をぐっと引き警戒を露わにし、威嚇するように低く鳴いた。

「大丈夫だ」
私はなだめようと小声で話し掛けた。
「何も悪いことはしない。鼻っ柱の強いおちびさん」
伸ばした指の先でそっと頬の下をさわろうとすると、小猫はいきなりその指を噛んだ。
そのまま指をひっこめないでいると、小猫は指をくわえたまま、困惑したように上目遣いで私の顔色を伺う。

「ちょっとばかり変わった挨拶だな、ちびすけ」
もう一方の手を伸ばし、慎重に小猫の腹の下からかかえて抱き上げる。ゆっくりと私の胸の近くに引き寄せると、小猫は咥えていた指を離した。歯型がついたが、たいした傷でない。
さて、と私は両手で小猫を抱き上げて階段を昇りだした。
「ほっておいて明日君がここで冷たくなってたらあまりいい気はしないから、今晩はうちで暖まるといい。ついでに夕飯も付き合ってくれるかな」

 こうして私は黒い小猫を拾ったわけだが、べつだん飼うつもりはなかった。猫も犬も動物はだいたい好きだし、彼らにもあまりきらわれたことがない。むしろ、私は何故か好かれるらしい。けれど、決った動物をずっと飼う事はなかった。

 仕事がら不規則になりがちで家をあけることも多い。動物だって散歩もさせてもらえず、まして私が製作に没頭して寝食を忘れても、彼らには関係ないし、むしろ食事がいつになるかわからない飼い主など迷惑このうえないだろう。

 だから、時たま拾うというか、野良犬や猫を保護して食べものをやっても、元気になれば放して彼等の好きなようにさせることにしていた。

 こうして小猫は、数日間私の住いで暖まり、食べものにありついて腹をふくらませ、満足そうに眠っていた。そのうち退屈したのか、私が何かしていると、大きな青緑の瞳でじっと見つめたり、ソファでくつろいだり考え事としている時など、近づいて私の身体に頭を摺り寄せたり、にじり寄って身体の上に乗ってくるようになった。

 外は厳しい寒さが続いており、仕事もひと段落していたので、幸い小猫は仕事で忙しい時の私のように、食事を忘れられることもなく、この冬私はすべすべしたベルベットのような毛並みの小さな相棒と静かに過ごした。


 そして、ようやく寒さが緩んで春の気配がしてきたころ、小猫は外に出て行ったきり、数日間戻らなかった。もしや何かあったのかと近くを探し回ったが見つからず、もう帰ってくることはないかと思い始めたころ、彼は現われた。

 薄暗くなりかけたアパート入口の階段、そう、初めて小猫がいたその場所にその男はしゃがみこんでいた。黒っぽい服に黒のニットキャップを被っており、キャップの先が2箇所ちょっと立っていてそれが猫の耳みたいに見えた。よくみればキャップの下から金褐色の毛がのぞいていたがその時は気づかなかった。さらに細い黒のマフラーを首に巻いていたがやけに長いその先端が腰から脚のあたりまで垂れていて尻尾のようだと思った。

 まさかいくら私が普通の人と少しばかり感性が違うといっても、すぐに小猫が人間に変身したと思ったわけではない。
「きみ、どうしたのかね?」
男は伏せていた顔を上げ、私を見上げた。猫と人間を比べたらどちらが気を悪くするだろうかということはさておき、若い男はあの小猫に似た不思議な青緑の瞳をしていた。

 私は内心の動揺を隠して穏やかに聞いた。
「ここの住人に用でもあるのか?それとも具合が悪いのかね?」
青年は警戒するようにじっと私の目をみていたが、やがてぼそりといった。
「……ミッドタウンまで行こうと思ったが、腹が減って動けない」
元気はないが、少し擦れ気味の心地良い声だ。多分、乗り物代も持っていないのだろう。
「君さえよければうちで暖まっていかないか。ついでに夕飯に付き合ってくれてもいい。ほっておいて明日君がここで冷たくなってたらあまりいい気はしないからな」
春先といえど、夜になるとまだかなり冷え込む。

「動けるか?このすぐ先にエレベーターがある」
身を屈めて言うと、青年はまたもわたしの目を凝視し、それから、床に手をついて伸びをしながら猫のようにゆっくりと起き上がった。


 これが私達の最初の出会いだった。その晩、青年は暖まり腹いっぱい食事をし、ソファに丸まって眠った。結局青年はそのまま居着いてしまい、私も出て行って欲しいと言わなかったのでそのままになっている。あの小猫は依然みつからないので、この頃ではやはりあの猫が人間になったのかとさえ思える。無論、口にしたことはないが。

 青年の名前はオビ=ワンと言った。呼ぶのに不便だからそれだけは聞いた。他は歳も何処にいて何をしていたかも知らない。オビ=ワンはどうやらここが気に入ったらしく、慣れてくると住いやアトリエをもの珍しそうに見て歩いた。

「いろんなもの作ってるんだな、売れる?」
「まあ、生活できるくらいは」
「これ、どっかで見たことがある」
オビ=ワンが覗き込んだのは、数年前オフブロードウェイの小劇場の舞台背景のスケッチだった。
「舞台美術をやったんだ」
「クワイ=ガンが?」
肯くと、オビ=ワンは大きな瞳をさらに大きくして見つめてきたが、低く口笛を吹いた。
「観に行ったのか?」

 オビ=ワンは何も言わなかった。が、それ以来、私を見る目が少し違ってきたような気がする。それまでは、何してるかわからない気ままなオッサンとでも思っていたんだろうが、少なくとも他人に認められる仕事をしていたとわかったからだろうか。


 けれど、依然としてオビ=ワンの正体はわからなかった。オビ=ワンはときどきいなくなった。いや黙って外出した。ここに来て数日後に姿を消した時、彼のもとの生活に戻ったのかと思った。が、その晩遅く戻って来た、かばんをひとつ持って。どうやら、前の住いを引き払ってここに住むと決めたようだ。
「着替えがいるかなと思って。クワイ=ガンのじゃ大きすぎるから」
オビ=ワンはそれだけ言った。


 春になり、なじみの画廊やエージェントに促されて、私は少しずつ仕事を始めた。オビ=ワンは、気が向くとけっこう器用にたいていの家事をこなした。創作活動のときはかまわないでくれといったので、オビ=ワンも好きにしているが、一日中食事もせずに製作を続けていると、呼びにくるようになった。

「クワイ=ガン、夕飯にしよう」
「後でな。先に食べてくれ」
「何時だと思ってんの?今日りんご齧っただけだろ」
「あと少し――」
するとオビ=ワンは側の椅子にすわり、黙って私のきりがつくのを待っている。

 これが本当にのってきた真最中だったら、側に誰がいようとしゃべろうと私は返事もしないが、どういうわけか、オビ=ワンは手が離せるころを見計らったように声をかけてくる。おかげで、私は久々に、仕事が続いても一気に痩せるということはなくなった。

 そのうちにオビ=ワンは出かけるときと帰ったときには声をかけるようになった。週に数日間は決った時間に出かけていた、どうやら近くでアルバイトをしているらしい。帰りに食料を買ってくるようになった。私は買物代を渡した。オビ=ワンは自分だって少しは持ってると笑った。

 アルバイト意外で出かけることもあった。その時はいつ帰ってくるかわからない。夜更けに音もさせずに帰ってきて、私がリビングや寝室にいないとアトリエを覗き、姿がみえると安心したように微笑む。そしておとなしく自分の部屋に行ってベッドに潜りこんだ。


 ある晩、日付が変わってもオビ=ワンは帰ってこなかった。珍しいことではないし心配するほどでもないと思うが何故か寝付かれず、その晩は悶々として過ごした。次の日は仕事が手につかず、展示会の打ち合わせに来ていた画廊の担当者は、よほど私の虫のいどころが悪いと思ったのか早々に退散していった。その晩もろくに眠れず、次の日はオビ=ワンを探しに出かけた。

 考えてみれば、私は彼の友人も知合いもアルバイト先も捜索願いを出そうにも、何一つ知らなかった。それでもとにかく警察に行き、事故や怪我人の情報を聞いたが該当者はいなかった。
すると考えられることはオビ=ワンは自分の意志で帰ってこないのだ。連絡してこないのも自分の意志か。

 好きなだけいていつでも出て行っていいと言っていたくせに、我ながら情けないし、暗黙のうちにずっとこのままいそうだと勝手に思い込んでいた自分に腹が立つ。本当にそう思うならもっとオビ=ワンのことを知らなくてはならなかったのに。いや、まだ去っていったと決ったわけではない。何か事情があるのだろう、ホンの2日戻ってこないだけだ。

 足取り重く部屋に戻ると、留守電が点滅していた。
飛びついて再生すると警察からだった。すぐ連絡すると係りが出た。
「あなたの捜していたオビ=ワン・ケノビは今ハーレムの近くのER(緊急救命室)にいます。処置は済んでますが、迎えに来られますか?」
「もちろんです!どうしたんですか?」
「観光にきていた夫婦が強盗に遭ったのを助けようとして怪我したんです。出血はありましたが幸い重傷ではありません。あなたに連絡が遅れたのは、始めその夫婦の家族と思われていたんです。彼は自分で帰れると言い張ってますが、やはり、誰か迎えが必要――」
「すぐ行きます」
私は電話の向うの話を遮った。


 駆けつけた私が見たのは、蒼白なオビ=ワンの顔と心配そうな中年の夫婦。
「クワイ=ガン!」
「怪我の具合は?」
「わき腹をちょっと縫っただけ、すぐ治るから大丈夫だって」
オビ=ワンは安心させるようにそう言うと、私をそのアラバマから来たという人の良さそうな夫婦に従兄弟だと紹介した。
「どこかで聞いたお名前ですな。ミスター・ジン」
「あらっ!あなたこの方、モダン・アート・ミュージアムにあった彫刻。ほら作者の写真があったでしょ。この長髪と髭、この方よ」
「いやいや、久しぶりにニューヨークへ来たら、思いがけないことばかり起きますな」
「芸術家と演劇志望の青年なんて何て素敵な人たちなんでしょうねぇ」
丸顔の夫人はうっとりと私達を眺めた。


 演劇志望だって?思わずオビ=ワンを見たが、彼は何もいわなかった。
タクシーで帰るときもどちらもそれには触れず、オビ=ワンは簡単に今回の顛末を話した。
部屋に着いて、オビ=ワンは食事もせずにただ眠いという。
「麻酔が効いているんだ。きれるとき少し痛むらしいけど、たいしたことはないって」
「そうか、じゃあ良く寝るといい」
「うん……」
自分の部屋の方へ身体の向きを変えても、オビ=ワンは少しずぐずぐして、何かためらっているような素振りを見せている。
「どうしたんだ?」
「うん、あの、僕痛いの苦手でさ。だから……」
「だから?」
「痛いとき、呼んだらクワイ=ガン側にいてくれる?」
「ああ、手を握って励ましてやる。それともさすったほうがいいか」
オビ=ワンの白かった頬にほのかに赤味が射し、瞳が輝いた。
「ありがとう」
ふいに、私の口から思いがけない言葉がこぼれた。
「よければ私のベッドで寝ないか。そしたらずっと着いていてやれる。君のベットよりだいぶ大きいから」


  こうして、オビ=ワンは私のベッドで猫のように背を丸め、私達は寄り添って眠った。明け方、オビ=ワンの唸り声で目が覚めた。額にうっすらと汗をかき、苦しそうに頭を左右に振っている。
「痛むのか?」
「うん……」
タオルで汗を拭い、腕を伸ばして、オビ=ワンの背を抱き寄せた。そうして、ゆっくりと青年の背をさすった。オビ=ワンはすっぽりと私の腕の中に収まり、荒い息をしながら、私の胸に顔を押し付けている。
「大丈夫だ、すぐに痛みは収まるとも」
「……クワイ=ガン」
「私がついている、マイキティ」
「キティ……?」
「ああ、私の小さな黒猫くん」
オビ=ワンは不思議そうな目をしたが、微かに微笑んだ。
汗のにじんだ額をかき上げ、金褐色の短い髪をなでると、オビ=ワンは息を逃し、瞼を閉じた。少し様子をうかがっているとどうやら眠ったようだった。

次の日オビ=ワンが目覚めた時は、熱も下がり、ずっと気分も良くなったように見えた。

 傷は深くなかったが10針ほど縫ったので、塞がるまでは絶対安静だった。
私は看病の経験はほとんどなかったが、オビ=ワンは手が掛からなかった。遠慮もあるだろうが、一人で暮してきたので、具合が悪ければ治るまで動かないだけだよ、と言う。
それでも私は食事を運び、着替えをさせたりした。それがけっこう楽しかったりするが、オビ=ワンは、自分で出来るから仕事に戻ってくれ、などという。

 こういうところも、猫のようだ。そもそもオビ=ワンは普段の身のこなしも猫を思わせるところがあった。動きも軽いし身体も柔軟でしなやか。遅く帰ってきたときは足音もたてない。
野良猫というか野生動物のように、側にいてもめったに弱みをみせたり、寄ってきたりしない。怪我してようやく私に気を許したのだろうか。

「ルームメイトと喧嘩してアパートおん出て、知り合いをあたるつもりだった――」
数日後、オビ=ワンは自分からぽつぽつと語りだした。
ハイスクール卒業後、働きながら演劇スクールに通い、少しずつ役がもらえるようになった時、脚を怪我した。一応治ったが、予定していたオーディションは軒並みはずれ、落ち込んでいた、と言う。

「ブロードウェイで舞台に立って、いまに演出をやりたいんだ」
「それで演劇志望?」
「ERで調書とられたから隠すこともないと思って」
「私は従兄弟か?」
オビ=ワンはちょっとうつむき目をそらした。
「友人というと、あの夫婦でも誤解しそうだし、健全で素朴でいい人達だったんだよ」
「友達だろう。まあ、私は誤解されてもかまわないが」
「だってクワイ=ガンけっこう有名なんだろ?迷惑じゃないか」
「誤解するやつには勝手に思わせとけばいい」
オビ=ワンは大きな青緑の瞳を見開いてまじまじと私を見つめ、それからくすりと笑った。
「あんた、変わってる。クワイ=ガン」



 オビ=ワンの怪我は半月ほどで治った。私達は変わらず二人で暮している。
オビ=ワンは腰をすえて脚を直す事を決めたらしく、ダンスレッスンなどは無理せず、アルバイトしながら、ときどき劇場の演出家の手伝いをしている。


 季節は春から夏になったが、実は私は夏が苦手だ。ニューヨークでも時にとんでもない暑さに襲われることがある。

「そう溜め息ばかりついてないで、その長髪切るとか、きっちり結うとかしたら」
「ほっといてくれ……」
「だいだいこの広さなのに、エアコンの効き悪すぎるよ」
「古いんだ、仕方ない」
古くて広いのがとりえの部屋のもうひとつ良いところは大理石の床だ。カーペットを取り払って横になると、肌に触れるところがひんやりと気持ち良い。

 寝転がって本など読んでいると、こういう時に限ってオビ=ワンは寄ってくる。
「そんなに側にくると暑い!だいたいなんだその格好は?!」
「秋の舞台の衣装。動物の集団の1匹、慣れとこうかと思って」

 嘘付け!黒のネコミミに肉球のついた手袋、首に鈴なんて、そんなふざけた衣装があるものか!
もし本当だったら、オビ=ワンに役を割り当てた演出家はよほど目が肥えてるか、危ないやつだ!
内心で罵っても、この暑さで大声を出す気にもなれない。


「ねえ、そんなに暑いのいやならどっか涼しいところ行かない?」
「8月の下旬になったら海辺のコテージにいこう」
「今じゃだめ?」
「今いったらバカンス客でいっぱいだ。人込みはいやだ」
「それまで家で我慢?」
「そうだ」

 オビ=ワンは膝を付き、本当に猫みたいな姿勢で手を床につき、顔を近づけた。
「頑固で変わり者のクワイ=ガン」
「……」
「でも飼い主だから我慢してやるよ」
囁きながら、私の鼻の頭をぺろりと猫みたいに舐めた。
「オビ=ワン!?」
「アイスティー作ってくる」
オビ=ワンはしなやかに立ち上がった。



End
  暑さでだれてる飼い主さんと黒猫くんのイラストみてにわかに思いついたSS。おぢさんはN.Y.に住んでる芸術家なので、桑井百職ということで(笑) おぢさんのイメージはあれですよっ、あれっ! 映画「Before After」のアーティスト、ベンさんv
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